雷記念日
延長8(西暦930)年 6月26日(旧暦)
平安京内裏の天皇の住まいである清涼殿に落雷。
おりからの干魃のための雨乞いの儀式に参列していた大納言藤原清貫以下7人が死亡し、最も死穢(しえ、死に関わる穢れ)を遠ざけねばならない禁裏(きんり 御所)の内で多くの死者の骸を人目に晒したことで当時の醍醐天皇もショックで体調を崩し三ヶ月後に崩御されました。
これはその時からおよそ30年前に冤罪で九州太宰府に流され、その地で死んで怨霊となった菅公(かんこう 菅原道真公すがわらみちざねこう)の祟りと考えられ、京都北野の地に祀られていた雷の神火雷神と結合して道真は朝廷から天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)の神号を与えられました。これが学問の神様である天神さんで現在の北野天満宮のおこりになります。学問の神様であるところから、学生服メーカーの菅公学生服(現カンコー)の商標にもなり、任地であり死亡地でもある福岡県の太宰府天満宮と並び受験生の皆さんからいまだに厚い信仰を集めています。
私も醍醐天皇同様の心身不調からまだ回復しておりませんので、長いブログは書かず、菅公と北野天満宮にまつわる過去記事を再録してお茶を濁させていただきます。
古い記事で失礼いたしました。
菅原道真公は九州で河童の害を防ぐ存在としての信仰もあります(というか、政争に敗れて朝廷を追われた彼こそが河童の一族だと思います。
河童にまで貶められた菅公はやがて天神様として復活します。
私もそう遠くない復活を目指して雌伏の日々を送っております。
雷はどうやって発生するか知ってる?
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