傷痍軍人 | われは河の子

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 子どもの頃、お花見の時期や今時分の陽気がいい時期になると五稜郭公園の入り口(一の橋)辺りで、白装束に身を包み、傍に松葉杖を立て掛けてアコーディオンやハーモニカなどを演奏していた片脚のない傷痍軍人(しょういぐんじん、戦傷を負って復員して来た元軍人)さんの姿をよく見かけたものでした。函館名物の焼きイカ(イカポッポ)やとうきび(トウモロコシ)の焼ける香ばしい匂いと共に聴こえる物哀しい旋律が行楽地の思い出となっています。

 写真はお借りしました。


 白装束は軍の病衣なんだそうです。私が小学生の頃ですから昭和40年代までは確かに記憶がありますが、あの人たちはいつ頃までいたのでしょう?


 今時なぜこんなことを話題にするかというと、自身も障害者になり、社会福祉の恩恵を受け、当事者としての意識を発信するようになり、戦争の是非はともかくとして公務として闘い大きな怪我と障害を負った先人たちにふと思いを馳せたのです。

 殺すか殺されるかという極限状況の中でお国のために戦い、引き換えにした障害。当時を直接知る人たちからは感謝と同情はあっても差別などはなかったように思いますが、彼らのほとんどは寄付、募金という名目の物乞いであり、偽者も多かったらしいので(傷痍軍人は軍人恩給が支給されていました。もちろん現在私が支給されている障害年金同様、それで裕福な暮らしができたわけではないでしょうが、恩給の対象にならない一般戦災者などが募金欲しさになりすましていた場合もあったらしく、蔑視されていたケースもあったようです🤭戦後社会が生んだ暗部でもあったのでしょうね。陽だまりラジオで障害者差別をテーマにした回を重ねているだけに、記憶の底から甦ってきました。

 考えてみればこの方も傷痍軍人さんだったのですね。ビルマ戦線の戦闘で顔面にふた目と見られぬ大火傷を負ってゴムのマスクを被った青沼静馬『偽スケキヨ』


 こっちは騙り。やはりニセモノ、特殊詐欺です。脳卒中後疼痛により、春風が頬を撫でても激痛を感じるためゴムのマスクを被った河童洞みんつち『偽スケキヨ』