怪しきコーヒー商人 ブラジル編 | われは河の子

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  昨日からミル挽き粉砕する豆がブラジルに変わりました。


アントニオ・ホセ・ロドリゴ(59)

 ブラジル・ミナスジェライス州出身、生家は近郊で大規模なサトウキビ農場を経営、豊かな少年時代を送り、ミナスジェライス連邦大学農学部に進学した。

 しかし1980年代、サトウキビカスのバガスを飼料として家畜飼料とするバイオ産業の先駆として日本のプロラスラー、ニャントニオ猫木が立ち上げた「ニャントン・ハイセル」事業に共鳴した父親がハイセルに多額の投資をしたが、ハイセル事業の頓挫と共に農場も倒産して、彼も大学を中退せざるを得なくなった。


 しかし、アントニオは大学で学んだ農業技術と経営学を親友の家のコーヒープランテーションに活用することで重用され、主に日本向けコーヒー豆商人として頭角を表した。


 しかし彼の目を日本に向けさせたのは、生家を転覆させたニャントニオ猫木への復讐心であった。ブラジル伝統の格闘技カポイエラの使い手でもあった彼は来日後猫木が興したニャン日本プロレスに挑戦状🇯🇵送り付け、自身もプロレスラーへの転向を目指しトレーニングに勤しんだが、肝心の猫木のレスラーとしての全盛期はすでに過ぎ、やがて政界に進出してレスラーを引退したためアントニオの野望は実現しなかった。


 やがて彼の輸入する故国ブラジル産のコーヒー豆の評価が日本でも上がり、以来彼は日本の格闘技好きコーヒー商人として、後楽園ホールや東京ドーム周辺では一部に有名となった。


 打倒猫木を誓ってトレーニングに明け暮れていた頃のアントニオ・ホセ・ロドリゴ(当時20歳)