繰り出す人々はもちろんのこと、それを迎える側の心も浮ついて来ることを 服飾レジカウンターに立つ靖子・ピーポディは感じていた。
サービスカウンター業務から服飾、衣料担当に異動して2ヶ月。ようやく仕事にも、スタッフとの人間関係にも慣れてきたが、慣れこそミスの原因になるとヤッコは思っていた。今では服飾コーナーの仲間たちのみならず、フロア全体にヤッコの呼称はすっかり浸透しており、カー用品担当バイトの岸本君でさえ「ヤッコさん」と気軽に呼ぶようになっていた。
『ここで気を引き締めなきゃ、慣れたからって油断しては大きな失敗に繋がるわ』彼女は心の中でそう思うと連休後の平日とあって、まだお客の姿の少ないフロアをゆっくりと見廻した。
彼女がパートで勤務しているショッピングセンター「アヴェール」迫立店は、国内大手スーパー「高木屋」の100%資本の子会社であり、高木屋の食品スーパー部門、服飾、日用品、雑貨、家電などの自社部門と専門店街に入る複数のテナントにより構成される複合大型商業施設で、ヤッコが担当する服飾エリアには、男女別衣料品各種はもちろん、靴、バッグ、傘などの衣料小物や、健康機器なども所狭しと並べられていた。
その日は天気に恵まれた好日であったが、朝から風がやや強く、遅く咲いた八重桜の花弁を高く遠く散らしていた。肩や襟に白い花弁を乗せている来店客の多さが春風の強さを物語っているようで、それがヤッコには微笑ましかった。
その中で1人、肩のあたりにたくさんの桜の花びらを纏わせた小柄な女性客に目が行った。白い花弁が嫌でも映える真っ赤なウインドブレーカーを着て、これも目に鮮やかな緑色の大きなナップザックを背負っている。花粉症なのかウィルス対策なのか、色の淡いサングラスにマスクを着けているので、人相はよくわからず、パッと見には年齢も見当付けづらいが、コーディネートの色合いからそんなに年配のお客ではないだろうと彼女は思った。
微笑を浮かべてその派手な女性客から目を転じたのは、視界の隅にこれまた見慣れぬ格好のお客を認識したからであった。
相当な高齢の男性客であった。80歳は下るまい。その年頃のお爺さんにしては身長が高く感じたが、その高い背格好を折るようにして、酸素ボンベのキャリーカートにもたれるようにして歩いている。
ボンベから鼻まで細いチューブが繋がっていて、ゼイゼイと苦しそうな呼吸音が洩れている。
呼吸器が悪いのだろう。失礼ながらヤッコは、こんなに身体の不自由なお爺さんが一人で買い物に来たのかと訝しんだ。誰かお連れ様はいないのかしら?と視線を左右に動かしたが、連れを見つける前にお爺さんと目が合った。彼はヨボヨボとヤッコに歩み寄ると
「ちょっとお姉さん、猿股は何処かな?」
と話しかけた。
『さ、猿股⁉︎』ヤッコの知識にはなかった。
「失礼ですがお客様、さるまたって何ですか?」
「なんだアンタ猿股も知らんのか?パンツだよ」
パンツ、ズボンのことを言ってるわけではないと思った。
「はい、男性用下着はこちらでございます。ご案内いたしますがブリーフでしょうか?トランクスでしょうか?」
「そんな洒落たモンは知らん!ふんどしでもいいんだが。さすがにそれはなかろう。婆さんが死んでからなにかと不便でかなわん」
途切れがちな呼吸の中でかろうじてそう告げられたヤッコは途方にくれた。ふんどしは置いていない。
とりあえず男性下着売り場に案内した。
続く
相変わらず、何も方向性と着陸点が見えていないのに勢いだけでスタートしました第3弾。
今回もミステリ仕立ての予定ですが、肝心のトリックがまったく考え付きません。
しかしながら私もミステリ読みの端くれ。あからさまな他人のトリックの流用は避けたいところです。
今回は焦らず、急がず、じっくり納得のいくものを書き綴っていければなと思っています。あまりプレッシャーかけないでね。