臓腑(はらわた)の流儀 その⑧ 最終回 | われは河の子

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 「ぶっ殺してやる!」

 シンジはそう叫ぶと、右腰の辺りで腰溜めに構えたマキリごと俺の左脇腹に体当たりした。
 ヤクザの使う典型的な刺殺法である。
 ドンという激しい衝撃とともに、腎臓の辺りに痛みを感じた。デブシンジの右肩が俺の左の大胸筋にめり込むように押しつけられていた。
 俺は右手に握り込んだサマルカンドのタイルを素早くポケットから抜き出すと、右肘を鋭角的に折りたたんだまま、拳をシンジの水月(みぞおちの急所)に思いっきり突き上げた。立っちゃん直伝のショートアッパーが重い肉の壁にめり込んだのがわかった。
 「うげぇ!」そのままの姿勢でシンジが嘔吐した。酒臭いゲロがマキリの柄を握ったテメェの両手に飛び散ったばかりか、俺のジャケットにも派手な染みを作った。鼻血といい、ゲロといい、迷惑この上ない。
 しかし思いもよらなかったであろうアッパーの衝撃で、俺の肩にもたれかかった体重が、さらに左に流れたのがわかった。
 俺は左手でシンジの肘の辺りを引き吊り上げると、まだゲロを滴らせている奴の足元で小さく反転するや、右手をシンジの左脇から背中に回し、作業着の背中部分を握り込み、十分に腰を入れてその太った身体を真下に向かって引き落とすと同時に自分の右腰を高々と跳ね上げた。これ以上はないほど見事な大腰だったと今でも自負している。
 京都で大学生活を送った俺は旧大日本武徳会柔道で二段を取った。(とはいえ、戦後GHQの命令で解散させられ、首脳陣は公職追放の憂き目にあった大日本武徳会は、戦後の柔道に関しては講道館流柔道を採択せざるを得図、単なるスポーツ団体に成り果ててはいたが)
 しかしこの講道館柔道のブラックベルトを後ろ盾に、フィラデルフィア市警ではJUDOマスターとして指導にあたり、警察と私立探偵間に人脈を得た。
 シンジがいくらデブだと言っても、せいぜい100kg程度のものだろう。だが俺はフィラデルフィア市警の道場では、およそ260ポンド(120kgほど)はあろうかというアメリカ人警官たちをこの大腰や払い腰、そして体落としでいとも容易に投げ捨てたものである。
 そのシンジの身体が真っ逆さまになった瞬間にふと我に返った。本来ならこのまま相手の衣服(道着)を掴んだまま、その背中と腰から畳に叩きつけるところだが、マキリで腹を刺された報復である。
 シンジのおそらく空っぽな頭が真下を向いている状態で、俺は釣り手も引き手も同時に離した。
 デブは派手な音を立てて首筋と肩口から床に刺さった。
 不吉な乾いた音が聞こえたから、鎖骨か肩甲骨くらいは折れたのだろう。しかし、この床がPタイルではなく、改装前の木の床だったら、下手をしたら頚椎損傷くらいの怪我を負わせていたやもしれない。
 そうなったら奴への補償も一生ものだ。馬鹿なデブと心中するつもりなどない。今思い出しても冷静な判断だったといえる。
左京区岡崎の平安神宮そばの武徳殿で二段を目指していた頃の俺。琵琶湖疏水の流れをバックに。
(著者注、これは孝一郎の全くの嘘。著者は確かに柔道経験者ではあるが白帯しか持っていない。
 これは兵庫県の城崎温泉での一コマである。
ひたすらストイックに武道に打ち込んだ孝一郎とは違い、湯けむりと、湯上がりのビールを満喫していた軟弱な青春だった。)

  肩口から床に落ちたシンジは床にうつ伏せのまま何やら呻き声だけを発していた。
俺はその背中に馬乗りになると、自分の腰からベルトを抜き取り、シンジの両手を後ろ手に回して縛りあげた。この制圧法もアメリカで学んだ。
「塚田真司、刑事訴訟法第213条に則(のっと)り、殺人未遂の現行犯で逮捕する!11月21日13時25分!」
 俺が塩谷さんを見ると、ビデオ係りはにっこり頷き再びファインダーを覗き込んだ。
 会場は騒然としてると思いきや、水を打ったような静けさだった。ミッキィが卒倒しているのが心配だったが、俺は襟原の姿を確認すると大声で声をかけた。
「襟原さん110番だ!ついでに119もお願いしてもいいですか?」
「おっとお安い御用だ。任せとき!」
元来がお調子者らしい襟原は嬉しそうに携帯を取り出して電話をかけ始めた。
 わずか5分もしないうちにサイレンを鳴らしてパトカーが先に到着した。若い制服警官が入って来て、
「何事ですか?傷害事件との通報だったそうですが。通報者はどなたですか?」
「あー俺俺俺が通過しました」
 興奮状態の襟原を差し置いて俺が発言した。
「殺人未遂の現行犯により私が私人逮捕いたしました。被疑者を制圧しておりますので手錠をかけてください。警官!氏名ならびに官職をお願いします。」
「西警察署巡査木原タカシです。殺人未遂ですか?」
「そうです。これを見てください。」
 俺はジャケットの前を開いて未だに左原に突き立っているマキリを見せた。
「で、け、怪我の具合は?」
 俺はベルトの抜けたズボンのファスナーを開けてシャツの下までずり下げた。美女がたくさんいたがこの際仕方がない。
 パンツとサテンのシャツに挟まれて少年ジャンプが腹の間に差し込まれており、そこに深々とマキリの刃が刺さっていた。
 昔大阪のホームレスに教えてもらったヤッパ(短刀)の防御方法である。
 「私人逮捕ですかぁ?」若い警官は動揺している。
「木原巡査、刑事部長クラスの応援を至急要請して下さい。それと法的に多少複雑なので、検事にも現場での検証を依頼して下さい。日曜日ですが、当番検事くらい在庁しているでしょう。興亜橋の検察庁からなら、そっちの方が早いかもしれない。」
「わかりました!」若い警官はパトカーに戻ると、警察無線で連絡を取り始めた。
 やはり現場到着は検事の方が早かった。
「殺人未遂の私人逮捕ですって?まず逮捕者の氏名、住所と逮捕理由を申告していただきます。」
「逮捕者は私、水島孝一郎です。刑訴法213条適用です。住所は、京都市左京区元田中町〇〇番地の◯。ですが今はホテルポートプラザに滞在中ですし、今日からこの事務所の所長です。本日付で公安委員会に探偵業の開業届けを出しています。逮捕理由は、この凶器による殺人未遂です。犯行時に『ぶっ殺してやる!』と叫んでいます。見てください、この刺し痕を」 俺はそういうと再びジャンプを腹に挟んで見せた。
「正確に腎臓か腹部動脈を狙っていますね。未必の殺意(もしかしたら被害者は死ぬかもしれないという加害者の思惑)どころか明らかに殺害の意志を持った一撃でした。目撃者は大勢おりますし、パーティだったもので、その瞬間を撮影したビデオを証拠として提出します。多分天井の防犯カメラにも写っていると思うので、それも凶器共々証拠物件として提出します。制圧時に柔道技により被疑者に怪我を負わせた可能性がありますが、私は正当防衛を主張します!」
「水島孝一郎君?」
「ええ?」
「後藤賢太郎です。わかりますか?ほらK高校で一緒だった。」
「ああ、ゴトケンかぁ?東大に行った!」
「検事に任官されてから幾年月、ようやく去年故郷に帰って来られたんだ。」
 なんとこの街の狭いことよ!帰って来てから同窓生だらけだ。
 やがて違うパトカーも到着し、私服刑事たちが降りてきて、またしてもの人定質問が繰り返された。気の毒なのは通報者の襟原とパーティ主催の加賀谷夫妻だ。警察署に連行されて、同じ質問の繰り返しに耐えなければならない。
 シンジはパトカーに乗せてられて西警察署へと連行された。
後藤検事は獲物を奪われたようで幾分不服そうな顔をしていたが、どのみち逮捕時から72時間以内に検察に送られるのは間違いないだろう。それを見越して、俺はビデオカメラに向かって逮捕時刻と現行犯逮捕を宣言していた。
 「あのー私はどうしたらいいのでしょう?」
すっかり血の気の引いた顔色の裕美子がおずおずと木原に尋ねた。
「貴女は?」
「あーこの人は被疑者の奥さんだ。正確には内縁の妻なんだろうけど。優しく扱ってやってくれ。長期にわたるDVの可能性もある。おそらくこっちは家裁の判断にゆだねることになるんだろうけど。」
「わかった。水島は今日はもういいけど、明日にでも西警察署か検察庁に出頭してもらう必要がある。明日の午前中には連絡が行くはずだ。」
「ありがとう。君が担当してくれて助かったよ。」
「こっちこそ驚いたよ。私人逮捕なんて連絡は初めて聞いた。勉強になる。そのうち飲みにでも行こう」
「よし!それならいい店を知っている。特別料金でな。」俺は目でミッキィを探した。
「いや、公務員、特に司法官にそれだけは御法度だ!」
「それじゃぐっと安いところに行こう。ママはジャガイモだけどな」
「おお、それならいつでも歓迎だ!」
 そうして後藤検事は握手の手を差し出した。
 こうして混乱のうちに開業パーティは知らぬ間に幕をとじた。これで良かったのだろうか?ケースケやミッキィや、何より裕美子は俺を許してくれるだろうか?

 その夜、疲れ果てた身体をホテルのベッドに横たえているとドアチャイムが鳴った。
 なんだ?もう警察には用はないはずだ。いやないはずもないのだが、もう夜の10時だぞ!
 幾分イラつきながらドアを開けると、ドアチェーン越しに、少しふらついた姿勢で酔ったミッキィが立っていた。
「ねぇ孝ちゃん、今夜泊めてよ。」
「ミッキィ、何を言ってるんだ!今日は疲れたろうから早く帰りな!」
「何よ!意気地なし!据え膳喰わぬはオトコの恥なんとかっていうんでしょ!」
「だってあんたはケースケの…」
「あいつはあいつで勝手にやってるわ。ねぇいいでしょ?2年生の頃からずっと好きだったのよ…」
「それは俺だって同じだが」
「そうでしょ!いいでしょ?そう決めた!」
「決めたってミッキィ…」
「何よ!これがアタシ流のはらわたの流儀よ!あなたがこれからもここで頑張るつもりなら覚えておきなさい!」
「あんたの場合、子宮の流儀なんじゃないの?
「露骨な事言わないでよ。馬鹿なんだから!。いつまでこうやって廊下に立たせておくつもり?」
ミッキィはそうしてチェーン錠を開けさせると勝手にダブルルームへと入って来た。
さすがに社長夫人のご威光である。
 こうして俺は友人を一人失い愛人を一人手に入れた。
 故郷はまんざら悪くない。


臓腑(はらわた)の流儀 2019年8月 ©️松島花山

あー終わった終わった。短編とはいえ小説を完了させたのは何年ぶりになるのだろう?
骨折のタイミングに感謝しなくてはいけないかもしれない。

 因みに30年ほど前に函館市民文芸の小説部門で佳作になった『蝉鳴り』でもヒロインの名は裕美子だった。なぜか昔から俺の書くもののヒロインはいつも裕美子だ。しかし、その名を持つ女性はいたが、モデルに設定するような人ではない。
 今回もスマホの変換ミスを見逃して、はじめのうちは由美子になったケースが何度かあり、ニョウボは、幼なじみの由美ちゃんのことでしょう?と妬いていた。確かに彼女とは幼稚園、小学校、焼けた中学と同期だったが、裕美子のモデルではない。
 ミッキィのモデルもいない。美樹さんという人はいたがね。
  みどりさんのモデルだけは実在します。
 俺の大学卒業後に一度だけ喫茶店で会ったが、その後とんでもない出世をしたのを聞いたきりだ。今頃何処にいるんだろう?
 青春とはセンチメンタルである。 

 長きにわたりお読みいただきありがとうございました。
みんつち松島花山