臓腑(はらわた)の流儀 その⑤ | われは河の子

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アンバサダーの中には、前もってミッキィに頼んでおいたケースケもいた。胴回りが太くなり、てっぺんもいくぶん薄くなっている。
「よぉ不動産王!久しぶりだな!」
「孝一郎か?世話になったそうだな。」
「なんの!まだまだモメるぜコレは!」
「また力になってくれたら助かる。あのバカにはほとほと手を焼いている。そろそろ手を切りたい。」
「なんだい、オメェも裕美子とおんなじ口かい?
若い頃ヤツに手篭めにされたとか?童貞を失ったとか?」
「馬鹿言うない!ヤツはあんなだが、一応加賀谷組の社員だ!」
「そう聞くと、加賀谷組も立派な反社会組織みたいだな。まぁいいや、そもそもオメェ、昔アイツと付き合いなんかなかったろう?ヤツは高校には行ったのか?クラスが違ったから俺はわからない」
「とりあえず北海水産には行った。しかし2年で中退している。っていうか事件で退学だな。」
「ふーん、そんでその後は?」
「水産時代の仲間の口利きで、終末期の北洋サケマス船に何年か乗った。あの身体と粗暴な性格で、荒くれ揃いの漁師の中ではそれなりの顔にはなったらしい。まだ金も唸るほど取ってたしな。」
「北洋漁業の人達は、上陸前に胴巻きの中に札束を入れて、それから大門辺りをそぞろ歩いたっていうからな。」
「けど、そんな栄光の北洋漁業も昭和と同時に幕を下ろした。昭和63年に母船式サケマス漁が全面禁止されて、この街の繁栄も終わった。」
「船には最後まで?」
「そこが馬鹿たる所以だ!禁漁になる1年ほど前に、洋上で酔って暴れて人を刺した。」
「なんと!?ナイフか包丁か?まさかヤッパ(短刀)とか?」
「それが笑うぜ!マキリだとさ!」
「マキリ…」
 マキリとは、本来狩猟民族だったアイヌの短刀狩猟刀である。彼らはそれで獣や魚を捌き、木の皮を剥いで生活の具とした。そんな歴史から、北海道では昔から山猟師や北洋漁業の漁師たちの作業用ナイフとして愛用された。
「刺された男はすぐに母船に送られて船医の治療を受けた。幸い軽傷だった事と、被害者が先に手を出したのをみんなが見ていたこと。マキリは常にその辺に放置してあったことなどから、計画性があったとは認められず、公海上での司法権は船長にあることから大事にはされず、帰港してからの書類送検で落着はした。なにせ当時の連中は、いつ仕事が根幹から崩壊するかという焦りもあったから、中には同情論すらなかったわけではない。」
「なるほど。で、漁がなくなってからオメェに拾われたって訳か?」
「アイツの親父がウチの現場作業員だった。肝硬変で死んだけどな。それからアイツが金を持ってぶいぶい言わせていた頃に、裕美子を力尽く同然で自分の女にして、同棲みたいな暮らしをしていた事はコレに(と、ミッキィを小指で指して)聞いていたからな。」
「裕美子も裕美子よ。中学の頃にあんな目に遭ったのに。その時も半分誘拐みたいなことだったのよ!それなのにまだズルズルと切れないなんて。情けないったら!」
ミッキィがすすり泣くような声で言った。ここはひとつ裕美子のためにも俺から弁解してやらなければいけない。俺はナイト(騎士)を気取った。
「典型的なストックホルム・シンドロームだな。」
「何よソレ?難しい言葉で誤魔化そうったってダメよ。」
「ストックホルム症候群とは、犯罪被害者が、極限状況下でしばらく加害者と過ごすことで、不思議と親愛の情を覚えて、犯罪に加担する事例だ。少女誘拐事件などに多いが、あのペルーの日本大使館人質事件の時にも同様の現象が報告されている。一概に裕美子の性格のせいにしては彼女が可哀想だ。ましてあのバカデブシンジにそんな前知恵があったとは思えないが…」
「孝ちゃん、なんでそんなこと知ってんのよ?あんた刑事?」
「俺は日本で社会病理学の、アメリカで犯罪心理学の学位を取った。」
 パチパチパチ!ケースケが乾いた音で場違いな拍手をした。
「さすがだよ、孝一郎!お前だけはあの頃から仲間内で違っていた!」
「みんな馬鹿だったけどな」
「馬鹿は馬鹿なりにみんな道があった。」
街の不動産王になった馬鹿が述懐した。
「けどあのバカだけはもうかばい切れん!次に事件を起こしたらクビだと固く言い渡してはいるんだが、ミッキィと裕美子が絡んでいるんで軽々には切れなくてな!」
「北洋衰退と、バブル崩壊の後に数々の地上げで今の地位を確立したオメェだ。そんなおりにはあんな馬鹿にこそそれなりの使い道があったんだろうが、時代が変わったからって親が子を切るとは、臓腑(はらわた)の腐ったような話だなぁ!」
「だからぁ、『仁義なき戦い』の世界じゃないっつーの!」ケースケも泣きそうな顔になっている。
「わかったわかった。俺は古い友達は信用するよ。俺もアメリカや大阪では、それなりのものも見てきた。臓腑(はらわた)には臓腑の流儀がある事を見せてやる。
ただ、ちょっと絵を描く必要はあるな。ケースケに用意して欲しいものもある。」
「なんだ金か?」
「いいや、空き事務所を一つと車が一台。事務所の内装と電気工事くらいかなぁ」
「そんなもんならお安い御用だ。」
「後は善意の目撃者が一人と。いやそれはあの人に頼もう」俺はそう言うとミッキィにウインクして見せたが。彼女はその意味には気づかなかったに違いない。が、別の意味を思い出したように、
 「そうそう、あのICレコーダーだけどさ」
「おお、なんか録れたのか?」
「まぁ聴いてみてよ。」
ミッキィは小洒落たバッグからそれを取り出すと、よく磨かれたカウンターの上に置いてプレイボタンを押した。
[バシャバシャ、ザーザー!]と、けたたましく水の流れる音が鳴り響いた。」
「なんだトイレに仕込んだのか?悪趣味だなぁ」
「変態なの?朋のカウンターキッチンよ。裕美子が洗い物をしているの。カウンターではシンジがビールを飲んでいたそうよ。」
 突然、ミッキィの声を遮るように激しくグラスが割れる音がした。
「またぁ、もうやめてよ!」これは裕美子の声だ。
「大体あの野郎、なんだって今頃になってノコノコこの街に現れたんだ⁉︎アメリカあたりでおっ死んだんじゃなかったのかよ!」もはや怒声である。肥りすぎの上に怒りで血圧が上がり、ハーハーゼイゼイと発語すら聴き取りにくい。
「誰かに襲われたのは確からしいけど…」
[ようし!それなら今度こそ俺がぶっ殺してやる!また大勢の前で恥を書かしてな。人の面にドロを塗りやがって!」
「泥じゃないわ、鼻血よ。」「ウルセェ!そんなこたぁどうでもいいんだ!殺してやる。ぶっ刺してやる!」
「うわぁこりゃマジだぜ!」
ケースケが身震いをする。
 ふとミッキィが機械を止めようとしたので俺はその手を押さえた。
「止めるな!まだ何かある」

「だいたい裕美子テメェよぉ、やっぱりあいつと付き合っていたのか?中学の時からよ?,どうせその時にでも姦られたんだろう?」
「馬鹿なこと言わないでよ!あの頃は、こっちがその気でも、あの人は桑坂さんの方ばかり…」
「桑坂って誰だ⁉︎」
「覚えてないの?桑坂みどり。生徒会の副会長だったでしょう。背の高い美人。」
「うーんわからねぇ。この街にいるのか?」
「私もクラスが違うから全然知らないの。東京で見たって言う人の噂だけ。それよりも私より仲良かったのはミッキィかな?」
「加賀谷美樹か?」
「当時は植村美樹よ!」
「いや、流石に社長の女房はマズイや!しかしあの牝狐、綺麗なツラしてとんだ食わせ者だな!」
 ミッキィの手がレコーダーを止めるのを今度は俺は止めなかった。
「俺はもう帰るわ。孝一郎、あとはよろしく頼んでいいんだな?」
「任せとき。昔の友だちは信用してくれよな。」
 「クルマは明日にでも手配する。その他はミッキィから連絡させる。」
「それでいい。」
「ケースケ、家に帰るの?」気だるそうにミッキィが言った。
「わからねぇ!お前も好きにすればいい。」

 というわけで俺はその夜ミッキィと朝まで飲んだ。ホテルに行っていい?とも聞かれなかったし、言いもしなかった。
 気がつくと知らないラウンジのベルベット地のソファの上で上着を着たまま眠っていた。対角に置かれたソファではミッキィが寝息をたてていた。
ミッキィの図上の壁にはアンディ・ウォーホルのモンローのポスターがかけられ、その蠱惑的な唇から皮肉っぽい微笑みが俺に投げかけられていた。
『あんたらいったい何軒店を持っているんだ⁉︎』
 なんだか腹が立って来た。

 続く