河童汎世界論 | われは河の子

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 ここではカッパに近い言葉について、日本の河童との関連を取り上げてきました。
 曰く、日本の河童は、腕が抜けたり、くっついたりする特性を持ち、茨城県の手接(てつぎ)神社に祀られていますが、ギリシャ文字のk(カッパー)には、「伸ばされた腕」という意味がある。とか、河童の色は一般的に緑だが、岩手県遠野市では赫い色であるのだが、英語でコパーとは赫い色の銅のことであり、その銅が錆びると、緑色の緑青になる。とか、キッパーとは、ユダヤ人がかぶる円い帽子のことであり、河童の頭の皿を思わせる。とか、河童の皿の縁のギザギザの髪の毛?は、キリスト教におけるイエスの荊冠であり、イエスを認めないユダヤ教では、そのギザギザのない皿だけのキッパーを用いるのではないか?とか、キリスト教における洗礼(パブテスマ)とは、河童の皿に、水が湛えられていることと関連あるのではないか?とか、駒引きの異名を持つ河童は馬との関連が深いが、トルコのカッパドキアは、現地の言葉で「豊かな馬の土地」という意味を持つ。とかのヨタ説を上げて来ましたが、もっとも身近な場合に思い当たりました。

 河童には「膳椀貸し」という特徴があります。

 これは、集落の冠婚葬祭などで、御膳振る舞いのある場合、不足分があれば、紙に膳何客分、椀何客分と書いた紙を川のほとりやそこの木の洞に入れておくと、翌日にはきちんと揃えてあるが、一つでも返し忘れると、二度とかしてもらえなくなるというもので、
 これは河童の正体は、被差別民であり、それにはろくろを使って木工品を作る山窩(サンカ)と言われる人々も含まれるという、私の寄って立つ河童被差別民説にも符号します。

 ここで、英語のCUPです。
 言うまでもなくコップ、カップです。
すなわち椀そのものですね。

私はこの河童汎世界論をまとめて、河童大学に博士論文として提出することを考えていますが、
 これは河童社会学部の範疇で、河童文学部教授の私の範囲外かとも思いましたが、言語学に属するから、それもありでしょうか?
 これをネタにした小説を書けば済む話なんですけどね!