1964年のジャイアント馬場 柳澤健 2014年 双葉 社 2019年 双葉社文庫
今から30年ほど前の日本のプロレスファンは、馬場派と猪木派に二分化されていた。
プロレスファン歴50年を数える私はコチコチの馬場派であり、タイトルを見た瞬間にビビッと来るものがあった。
だからといって猪木が嫌いという訳ではない。おそらくタイガーマスク登場以前のワールドプロレスリングは全て見ていると思う。
テレビ禁止の浪人、寮生活時代に、タイガーマスクは、私の知らないうちに衝撃の登場を果たした。
さらに、近年こそ、元関係者による暴露本や証言を見にし、耳にすることも多くなったが、
当時はプロレス界というのは不透明極まりない社会であり、そこから流れ出す情報というのも、プロレス界の御用紙誌からのものか、ゴーストライターに書かせたレスラーの自伝か、梶原一騎の原作によるマンガくらいのもので、まだプロレスにつきものの神話というか都市伝説に満ち満ちたものであった。
さて、表題にある1964年とは、ジャイアント馬場のアメリカ武者修行時代のことである。
当時日本一背が高い人間であった馬場小平が、読売ジャイアンツを退団して、力道山ひきいるプロレス界に転身し、単身本場アメリカのマット界を席巻し、一流レスラーの仲間入りを果たした辺りの事情を核として、その前後のプロレス界の有様から、三沢光晴の死からノア崩壊に至るまでのプロレス史を豊富な取材で俯瞰している。
著者がやはりゴリゴリの馬場シンパだったかというとさにあらず、同じ著者には(1974年のアントニオ猪木」という作品もある。
文庫版帯に、うつむくな、胸を張れ。
劣等感は 最大の武器だ とあるように、
若き日の馬場小平にとって、日本一の身長はコンプレックス以外の何者でもなく、人中では常にうつむいて歩く癖がついていたとある。
それが本場アメリカのマット界では最大の武器になり個性となったサクセスストーリーである。
ハードなトレーニングを重ねて、強い身体を作ることも身体能力を高めることもできる。
しかし身長だけは伸ばしようがない。
あまたいるアメリカ人レスラーを凌駕する2メートル9センチの身長は、天が馬場に与えた財産であった。
そもそもアメリカのプロレスとは、完全なる勧善懲悪のストーリーを盛り込んだエンターテイメントである。ヨーロッパ各国や、日本や韓国(朝鮮)にもある建国神話や神々を持たないアメリカにおいて、ヒーローとは、騎兵隊であり、ジョン、ウェインであった。
無知で愚かな先住民族(インディアン)や、粗野で無礼な有色民族、矮小で卑怯な日本人、冷酷で、鼻持ちならないナチス達の悪業に、アメリカ人が酷い目にあった時、颯爽と登場するWASP(ホワイト、アングロサクソンプロテスタントが、悪を成敗して民衆を助けるストーリーに則っている。ようするに水戸黄門やウルトラマンと同じ根っこである。そこでは悪は悪ければ悪いほどウケ、ヒーローの強さを際立たせる。
若き日の馬場は、ひげを生やし、下駄履きでリングを闊歩し、その恐るべき巨体で、正義のアメリカ人チャンプをいいように痛めつける。
日本一の大男は、プロ野球選手としてのキャリアを持つ卓抜したアスリートであった。
やがて全盛期を誇ったアメリカのマット界のどこでもメインイベントを張るレスラーに成長した。
彼は今のイチローや大谷翔平を凌ぐ有色人として本場を転戦する。過去にアメリカにおいて馬場ほどドルを稼いだ日本人アスリートはいないのである。
恩師力道山も、同期入門のアントニオ猪木もアメリカで武者修行をしたが、猪木でさえレスラーとしては二流、力道山にいたっては三流であった。
やがて帰国して日本プロレスのトップに立った馬場と、その後のマット界をなぞる筆致によって、やはり都市伝説として知られる、日本に置けるカール、ゴッチとミスターXによるグレート・アントニオリンチ事件や、アメリカでの当時の世界チャンプ、バディ,ロジャースリンチ事件などの背景が明かされる。
そして馬場サイドのストーリー展開によって,日本のプロレスファンに浸透していたNWAという世界最大のプロレス団体の本質。NWAは、プロレス団体ではなく、プロモーター(興行主)のカルテルにすぎない。など、昔ファンが喉から手が出るほど欲しかった情報が開示される。
昔のプロレスファンにはご一読をお勧めしたい。
1961年生まれの私にとって幸運だったことは、全盛期の馬場の試合をテレビで見られたことである。
まだ全日独立前の日プロ時代に、鉄の爪エリックや、魔神ブラジルや、吸血鬼ブラッシーなどと行ったタイトルマッチを見た、試合合間に三菱電機の風神という掃除機でリンクの掃除をする景色を覚えている最後の世代ではないか?という優越感。馬の、腕も晩年ほど細くなく、あの巨体からの信じられない瞬発力を垣間見た時の驚き。その当時,馬場の年収は、ジャイアンツの後輩である王長嶋より多かったという。
あのアッポーオジさんには,そんな過去があった事を語り継いでいきたい。
それと,馬場の運命を変えることになった、劣等感は最大の武器という考え方。障害者の一つのあり方になるかもしれない。
こんな考えに反対する方は、当事者、健常者を含めてたくさんいると思いますが、
私は自身は,障害は売り物になると考えます。
同情を売り,賞賛を買う。
60前で半身付随の身体になって気の毒に、可哀想なという意識を植え付け,その上でこんなこともやるんですか?というおどろきに変える。
そんなアイデンティティは卑屈でしょうか?
そういえば,昔はミゼット(小人)プロレスっていうのもありました。プリティ・アトムとかって知ってますか?
あれなんかはあからさまに障害者を見せ物にしていて、今では許されない事でしょう。
元々目立ちたがりでスポットライトを浴びたい私は、これからとある国家資格取得に向けて勉強を始めたいと思っています。今年度,その資格を目指す人は全国で相当数に上り、キャリアや志向も様々でしょう。しかし、試験会場、面接会場に車椅子で行く志願者が、何人いるでしょうか?
スタートラインは公平なようでそうでもありません。私は障害を負った身体は私の個性であり,武器として使おうと思います。あざといと感じる方も多いでしょう。しかし、せっかく助かった命と、それについて来た身体を有効活用したいと思います。
え、その資格っていう何かって?
合格したら発表します!