星の林に漕ぎ隠り見ゆ
万葉集 巻 七 柿本人麻呂
空はまるで大海だ。
そこでは雲が逆巻き波立っている
月の船が星の林の中に漕ぎいってゆく
長年にわたり下らない海と船の怪異譚を綴ってまいりましたが、いよいよ最終話です。
奈良朝以降に歌聖(うたのひじり)と称された、わが国始まって以来の歌の天才柿本人麻呂の歌を取り上げました。
先日亡くなった哲学者の梅原猛さんが、「水底の歌」で解き明かした人麻呂の姿は衝撃的でした。
その悲劇的な人生と相まって、彼の歌にはどこか不吉さを感じ取れます。
一見雄大な叙景歌ですが、どうでしょう?
生きとし生けるものに力を与える昼間の太陽に対して、闇黒の夜空に光を投げかける月は、ある意味死と冥界のシンボルでもあります。
このシリーズで何度も書いている通り、海も人間の住めない死の世界であり、その此岸この世と彼岸あの世を繋ぐ船は生と死を繋ぎ渡るものであり、怪異が起こっても不思議ではありません。
同様に、人間が住めない月は、継(つぎ)でもあり、人の、輪廻を操作する存在とすら思えます。
英語での月(ルナ)は狂気の意味でもあります。
私のブロ友さんには月をハンドルネームにされる方が何人もいますが、皆底のない感性を感じます。
そういえば、半月は船の形にも見えますよね?
そして意味不明な星の林。
月や星、宇宙が死の世界だとしたら、
そこに林立するのは墓標なのではないでしょうか?
写真はお借りしました。
私がこの人麻呂の歌を読んだ時に、星の林からイメージしたのは、アメリカの国立墓地であり、戦没者慰霊のこの墓地だったのです。
人が死んだらお星様になるとはよくいうセリフですが、銀河や星雲も、あの世に行った魂の輝きなのかもしれません。
次なる(月なる)シリーズにご期待ください!
長らくのご愛読ありがとうございまーす!