広域重要指定115号事件 | われは河の子

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1984(昭和59)年9月4日。

当時大学4回生だった私は、その日所用で大阪に出かけ、夕方5時過ぎに京都に戻りました。
三条京阪から59系統のバスに乗り、北大路通りを通りかかると、四つ角ごとにジュラルミンの盾を持って完全武装した警察官が物々しく立っており、頭上にはヘリコプターが数機飛んでおりました。
何事か起こったのでしょうか?

下宿に戻りテレビを点けてみると、そこには驚きのニュースが流れていました。

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(写真はお借りしました)

その日、午後1時頃、京都市北区の船岡山公園で血まみれの警官が死んでいるのが発見されました。
30歳の派出所勤務の巡査で、刃物で16ヶ所を滅多刺しにされたうえ、拳銃を奪われ、その銃で背中を撃たれて絶命したのです。

さらに3時間後の午後4時頃、今度は大阪市都島区の消費者金融「ローンズ・タカラ京橋店」に中年男が押しかけ、応対した32歳の男性店員に銃を突きつけて金を出せと迫ります。
男性店員が「冗談でしょう」と応えたところ男はいきなり発砲し彼を射殺。
別の女性店員を脅して現金73万円を奪い逃走しました。

極めて短時間のうちに犯行がなされたこと、銃器の扱いに精通していることから、当局は暴力団関係者か警察官による犯行を疑い、警察庁は事件を広域重要指定115号に認定します。

下宿と同じ北区内と、つい先ほどまで滞在していた大阪で、そんな大事件が勃発しているとはつゆ知らず、私は呑気にねぐらに帰って来たのです。

犯人は、京都府警西陣署勤務だった元警察官 広田雅春(41歳)でした。
広田はその6年前に、やはり拳銃による郵便局強盗を起こして逮捕され、懲役7年の判決を受けて服役、仮出所したばかりでの犯行でした。
(この郵便局強盗事件は、内田裕也主演の映画「10階のモスキート」のモデルとなりました)

広田は翌日、実家のある千葉県で逮捕されました。
その後裁判で死刑が確定していますが、まだ刑の執行はなされていません。

さて、再び4日の午後に話は戻ります。

同じゼミの友人のホンダ君は、千本通りに近い西陣の町家に下宿しておりました。
その彼の部屋を後輩の学生が訪ねたそうです。
しかしあいにくとホンダは留守。
後輩は帰って来るのを待とうとしましたが、部屋に鍵がかかっているので、どこかで時間を潰そうと思いました。

ホンダの下宿の近くに千本京極と呼ばれる場末の繁華街があり、その中程に西陣大映という洋ピン専門館がありました。
あ、洋ピンって洋画ポルノのことね。
後輩はしばらくそこで時間を過ごしていたそうです。

ところが同時刻、船岡山で警官を射殺した広田がその同じ映画館に入って、男子トイレで血のついた手を洗い、館内で瓶のジュースを飲んでいた事が後の捜査でわかりました。
残されたジュース瓶に着いた指紋が、郵便局事件後に採取された広田の物と合致した事が事件解明の大きなポイントになりました。

後輩君は、実弾が装填されたままの銃を所持している、たった今殺人を犯したばかりの犯人と、同じ闇の中でひとときを共有していたかもしれないのです。

千葉県で逮捕された広田は、身柄を捜査本部の置かれた京都西陣署に移されました。
それは多分翌日の深夜12時頃だったと記憶しています。
深夜にもかかわらず、京都のテレビはその模様を生放送のニュースで報じており、私はそれを食い入るように見つめていました。

しかし、やはり同じゼミのナカムラ君は、わざわざ自転車を飛ばしてその様子を西陣署前で見ていたんだそうです。
好奇心旺盛といえば聞こえはいいですが、なんたるヒマ人なんでしょう。

あれからまもなく33年が経つんですね。
9月の声を聞くと思い出される事件です。