岩屋天狗と千年王国
窪田志一 著 八幡書店 1987年
岩屋天狗って?
明治時代に天狗煙草のブランドで巨万の富を築き、後に衆議院議員にまでなった、鹿児島県出身の岩屋松平が「岩屋天狗」と呼ばれていたことは知っていました。
でも、それとキリストの実効支配する千年王国(ミレニアム)がどんな関係があるのだろう?と手に取ってみたこの本は、
天狗煙草の岩屋とはまったく関係のない近年稀にみるトンデモ本でした。
著者によると、岩屋天狗とは俗称を橋口弥治郎左衛門兼清、僧名を岩屋梓梁(きつりょう)のことであり、
明応6(1497)年、鹿児島県伊集院に生まれたとされます。
身長十尺(3メートル)、容貌魁偉。
頭上右鬂の上に三寸ほどの高さの肉腫(角)が立っており、
永正4(1507)年以降数度にわたり渡鮮し、仏教再興、ハングルの創出などの文化興隆を図った後に自分と朝鮮王女の間に生まれた子を王とし、
その余勢をかって日本に戻り、室町幕府を倒して易断(えた)政府を作ったというのです。
そして日本書紀の編纂と古事記の執筆をし、全国の有力者の妻女息女に「お種頂戴」をせがまれた結果として、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康ら多くの英傑を子として残しました。
マジかよ?
さらに西方浄土を求めて中国、タクラマカン砂漠、中東を経由して地中海にいたり、
インドのゴアから切支丹のフランシスコ・ザビエルを鹿児島に連れてきます。
しかし、ザビエルを宗論で打ち負かしたことで切支丹の反感を買い、切支丹に扇動された織田信長に戦いを挑まれますが、隠密集団「真方衆」を駆使して信長を本能寺に暗殺します。
しかし、蛮異人岩屋梓梁が日本で天下を取ったということは日本の恥辱であると考える勢力と、秀吉、家康が自らが蛮異人の子であるということを永遠に抹消することを決意、岩屋天狗の功績を歴史から隠蔽するために、後の徳川幕府はその歴史、記録、伝承をことごとく葬ったそうです。
明治維新において国の舵きりをした西郷隆盛、大久保利通などの出身地の鹿児島県鍛冶屋郷は、易断政府時代に弥治郎を慕って全国から集まった精鋭たちの郷で、
西郷や大久保はその子孫であったそうで、
西郷隆盛のいわゆる征韓論は、西郷が朝鮮半島において岩屋天狗の足跡を探すための案だとも述べています。
この岩屋梓梁を抹殺し、その存在を消し去るために、様々な歴史上の人物が捏造されたそうで、
その主なる者は、
坂上田村麻呂、伴善男、平将門、藤原純友、藤原広嗣、西行、行基、空也、円空、
さらには源為朝、源実朝、藤原秀郷、弁慶、役小角、大江山酒呑童子、鞍馬天狗、秦河勝、甲賀三郎、弓削道鏡、菅原道真など豪華絢爛たるラインナップです。
鞍馬天狗なんてそもそも架空の存在じゃない?と思いましたが、
岩屋天狗の名称を民衆の想念の中から払拭しようとする徳川幕府が、鞍馬天狗なる架空の偽天狗を歌舞伎、芝居、謡、講談語りなどの一大キャンペーンによって人口に膾炙、浸透せしめて本物たる岩屋天狗の名を忘却消滅しようと計り、だいたいそれに成功してきたのだそうです。
もうおしっこチビリそうです。
さらにフンドシは「踏む土地」で、四股を踏むことによって大地に眠る神を呼び醒まし招く意であることで、岩屋梓梁が「天狗フンドシ」「岩屋フンドシ」「易断フンドシ」などの名で全国に広めたそうです。
しかし、これらのフンドシの名から岩屋梓梁の存在が露呈することを恐れた家康は、これらのフンドシの呼称を岩屋梓梁を連想させないように「越中フンドシ」に統一することにしたのですが、
その越中フンドシの呼称をどうやって全国に普及するかという観点から考えられたのが、
家康が生きているうちに行なわなければならない、残る最後の戦いである大阪の陣だったといいます。
夏の陣屏風絵に、足軽雑兵の大部分は素っ裸のフンドシ一枚の姿で戦った様子が描かれていますが、
そういう戦の様相を利用して、越中フンドシの名を広めんとしたのが家康の秘籌だったんだそうです。
夏の陣が一名「褌戦争」といわれたゆえんである。
って、これでもうおしっこダダ漏れ状態です。
これは昭和23年の秋に、著者である窪田志一氏が、鹿児島県伊集院町の山間において、氏の母方の祖母である福永ウメから相続した門外不出、一子相伝の秘書「かたいぐち」ならびに「異端」なる古文書記録に記されている事実なんだそうです。
大正3(1914)年生まれの窪田志一氏は、東大経済学部を卒業後、東京芝浦電気株式会社に入社、その後熊本第六師団入隊、予備士官学校を経て将校になり、戦後は鹿児島県農協連に勤めました。
1960年代末から70年代にかけて、衆議院議員選挙、参議院議員選挙、東京都知事選挙に出馬。
いずれも惨敗して供託金を没収されています。
都知事選の際には選挙公報に、エタ、エッタ、易断(えた)などの語句を13ヶ所に渡って記載し、選管から「基本的人権を著しく侵害する」として、職権にて削除されたりしています。
また、立会演説会ではチョンマゲ頭にフンドシ姿で登壇するなどのパフォーマンスを展開しました。
昭和59(1984)年没。
いゃあ、なんなんでしょコレ?
上下巻併せて700ページ近い内容は、重複するものも多く、論理が一貫していない部分もあり、とても私ごときの筆力ではその真髄をお伝えすることはできません。
だいたい私の読んだ「岩屋天狗と千年王国」は、彼の遺した膨大な論考、論文、草稿を岩屋梓梁顕正会という組織が抜粋、編集したもので、もちろん窪田志一没後のものです。
パラノイアとひとことで片づけるのは簡単ですが、何をして彼をここまで駆り立てたのでしょうか?
そもそも、この壮大な叙事詩の根幹たるべき「かたいぐち」と「異端」といわれる文献の、実際の記述文は一行として紹介されていません。
それどころか、実物は氏が山中に埋めて、その後埋蔵場所がわからなくなったそうです。
昔から古史古伝と看做される偽書は、少なくともその存在や本文は伝承者によって紹介されるのが普通ですが…
さらに驚くべきことに、図書館で借りてきたこの本は、上下巻ともに2800円の定価が記されていますが、
アマゾンやヤフーオークションでは各冊2万円ほどで取り引きされています。
中には上下巻で10万円なんてのもありました。
まさしく奇書、魔書というべきでしょうか。
おしっこ垂れ流しの脳髄マヒの快感を味わいたい方は、ぜひ図書館で探してみてください。
《付記》
豊臣秀頼は大阪の陣で自害せず、真田幸村の手で薩摩に落ちたという古来伝わる伝説を立証しようとしたものです。
ここでも、先の千年王国に出てくる伊集院、谷山などが舞台となっています。
事の真相はともかくとして、やはり南薩は謎に満ちているとしかいいようがありません。
いつかすかぽんさんの案内で、謎めぐりの旅をしてみたいですね。
(南薩ではかなり仕事をした経験はあるんですけどね)