ブロ友のちかぷさんが、
古今和歌集の仮名序について書かれていました。
言霊(ことだま)と超絶技巧を駆使して詠まれ、編まれた歌集には様々な想いが込められておりますが、
そこには一種の呪法も施されていると思われます。
世の中にたえてさくらのなかりせば
春の心はのどけからまし
これは在原業平の有名な歌ですね。
この世の中に桜というものがなかったなら、春の人びとの心はもっとのどかであっただろう。と、逆説的に、桜が咲くことがどれだけ人の心を騒がせ、惹きつけるのかという様を歌っている名歌です。
しかし、
この歌は、巻一 春歌上 53なのですが、
その一つ前の歌は、
藤原良房とは、妹の順子(じゅんし)を仁明天皇の後宮に送り込み、後の文徳天皇を産ませ、さらにその文徳天皇には、自分の娘である明子(あきらけいこ)を送り、清和天皇を産ませることにより、天皇との血縁を深めて他の貴族はもちろん、同じ藤原氏の別族を次々に追い落として、藤原北家の全盛時代の幕を開けた人物です。
詞書きに、
染殿のきさきのお前に花がめに桜の木をさ々せたまへるを見てよめる
とあります。
染殿の后とは、自分の娘で天皇の妻となった明子のこと。
その明子の宴で、瓶に挿した桜を見て良房が詠んだとされる歌は
年ふれば齢(よわい)は老いぬ 然はあれど
花をしみれば物思ひもなし
自分はすっかり年をとって老いてしまったけれど、この桜を見れば何も思いわずらうこともない。
ここでいう桜とは、もちろん娘の明子のことを指しています。
すでに後の天皇を産んでいる我が娘がいる限り、自分には何も案ずることはないという裏の意味が込められています。
その上で、先の業平の和歌を読んでみると、
世の中に桜、すなわち明子さえいなかったとしたら、春の心は穏やかなんだけど…と解釈することができます。
実は業平は、この明子の産んだ惟仁親王(これひとしんのう 後の清和天皇)とライバルであった異母兄の惟喬(これたか)親王と親しく、良房の陰謀によって失脚した惟喬親王に連座して朝廷を追われた経緯があります。
まさに明子さえいなければ、次の天皇の座は惟喬に移っていたはずなのです。
また、巻は違いますが、
同じ業平が歌っているのが第349番の
桜花ちりかひくもれ 老ひらくの来むといふなる道まがふがに
です。
老いてからの道が迷ってしまうように、桜の花が散り乱れて曇ってしまえ。
これが良房への呪詛でなくてなんとしましょう。
これはもちろん業平の思いと同時に、編者である紀貫之の思いでもあったと思われます。
貫之の紀氏から出たのが、惟喬親王を産んだ静子(せいし)なのですから。
こういう歴史のバックグラウンドを知って読む古典の、なんとも妖しいことといったら!

