海と船の不思議 64 わかばと梨 | われは河の子

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(写真はお借りしました)

「わかば」は海上自衛隊所属の護衛艦でした。
海上自衛隊発足まもない1956年に就航し1971年に退役となりました。
1962年の三宅島噴火の際には避難民の輸送に活躍し、またソナーや魚雷の実験艦として使用されました。
しかし、この艦を有名にしたのは幾多の幽霊談でした。

曰く、略帽を被った旧海軍兵士を見た。
曰く、苦しい苦しいと呻きながら歩く士官とすれ違った。

だが、わかばは海上自衛隊の艦です。
戦死した乗組員はおろか実戦の経験もないはずです。



ところが、わかばにはかつて大日本帝国海軍駆逐艦「梨」としての前歴があったのです。

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(写真はお借りしました)

梨は戦争末期の昭和45年に進水就航しました。
が、おりからの燃料不足のために十分な訓練もできないまま、7月26日に山口県平郡島沖にて、アメリカ軍のグラマン戦闘機に複数のロケット弾を撃ち込まれて沈没します。
爆撃や雷撃ではなく、戦闘機に沈められたというのは不名誉でしょう。
戦死者不明者を合わせた犠牲者は60人以上に及びました。

戦後、スクラップにするために引き揚げた民間業者が、思ったより損傷が少ないことを知り、これを防衛庁に売り込みました。

そうして復活したのがわかばなのです。

海底で永遠の眠りについていたはずの英霊たちは、無理やりにまたこの世に引きずり出されたのですから、中には勘違いをして姿を現したとしてもうなずける話ではありますね。