ルーツ | われは河の子

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写真はお借りしました

1977年に放映されたアメリカのテレビドラマ「ルーツ」を覚えていますか?
現代のアメリカの黒人男性が、自らの一族の歴史を振り返るもので、アフリカで生まれた青年クンタ・キンテを始祖とするそのストーリーは、奴隷制度と差別を取り上げて社会問題として世界中でヒットしました。
日本でも社会現象にさえなり、家系のことをルーツと呼ぶことはこれからわが国でも一般的になりました。

今でもそうですが、当時からあまりテレビドラマを見なかった私は、この作品も一度も見たことがないので、その内容や意義についてはなにも書くことができませんが、
当時この番組に魂が揺さぶられるくらいに感激したのが、中学の英語の女教師だったK先生でした。

『先生はあのドラマを見てとても感激しました。私たち北海道の人間は先祖代々という意識が薄く、自分のルーツを知らない人が多いけど、もしかしたらこのドラマのように、素晴らしいストーリーがあるかもしれません。
わかる人だけで構いませんから、お父さんやお爺ちゃんに聞いて、これはという皆さんのルーツが分かったなら、それを作文に書いて来てください』

と、とんでもない宿題を出してきたのです。もちろん書くのは日本語の作文で構いません。
英語とはまったく関係がない、先生の趣味と興味だけでの課題です。
いい迷惑です。

ご存知のように、北海道は江戸時代までは南端近くに松前藩があっただけで、定住していた和人(日本人)の数は少なく、
明治維新後の開拓期に、全国から移住してきた人々が道内各地に広がっていきました。
ただ、そんな時代にわざわざ北海道開拓のために海を越えてやってきた人は、故郷で裕福な恵まれた人生を送っていた人であったはずはありません。
故郷で食いはぐれたり、未開地でひと旗あげるつもりになったり、あるいは様々な社会的差別で(それはたとえば維新での賊軍に属していたことだったり、もともとの身分的差別層であったり)新天地を目指したり、さらには罪人として流刑地としての北海道に送られた人であったケースが多かったのです。
誇れるような先祖を持っている人などはいないといっても過言ではありません。

しかし、小学校の時の同級生だったタケダ君の家には、武田信玄の画像の掛軸が架かっていたことを覚えていたので、その頃から歴史が好きだった私に、ちょっと興味がわいたのも事実でした。

函館の私の家は、次男だった父が田舎から出てきて作った家なので、私は父方のことはなにも知らずに育ったも同然です。
じいちゃんの家は商店を営んでいたことだけは覚えていましたけど。

そこで父に我が家のルーツを質しました。
父はこのアメリカのドラマを見ていましたので、話は早かったようで、

そこで私は驚くべき歴史の話を聞くことになったのです。
それはまるで歴史秘話ヒストリアのような感動のストーリーでした。

続く