海と船の不思議 55 アドミラル・ナヒモフの財宝 | われは河の子

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アドミラル・ナヒモフ
(写真はお借りしました)

おなじみの高円寺ジャスティンさんに示唆されました。
しかし、この方の話題の引き出しも多いね〜。

アドミラル・ナヒモフは帝政ロシアの装甲フリゲート艦で、いわゆるバルチック艦隊の1艦として、1905年5月の日本海海戦に参加しました。
長駆バルト海から極東のウラジオストクを目指した38隻中の21隻を失う大敗北となった同海戦において、ナヒモフも30数発の砲弾を受け中破、戦闘開始翌日の5月28日に自沈します。

この時艦長は沈みゆく船と運命を共にしましたが、523人が日本の艦艇により救助され、捕虜として内地送りになりました。

ところがこの捕虜たちの多くが身分不相応の金貨を身につけておりました。
どうやら沈没のどさくさに艦から持ち出したらしいのです。
この艦は、バルチック艦隊の主計(会計や給与を担当)艦であったことや、ロシア政府が極東艦隊の整備計画を進めていたことなどから、莫大な財貨を積んでいたという噂が流れました。

ナヒモフが、沈むほどの損傷を受けていなかったにも関わらず自沈したのは、拿捕されてその財貨を没取されることを嫌ったからだとも考えられたのです。

昭和になってから、国内でいくつものグループがこれを引き揚げる計画を立てます。
日産グループの基をなした久原房之助などの大物も絡み、グループ間のつばぜり合いも起こりました。
ダイバーが遭難死するなどの犠牲を出しながらも沈んだナヒモフを発見しましたが、財宝を引き揚げることはできませんでした。

さらに昭和55(1980)になると、日本のドン、世界で一番金持ちのファシスト(自称)と呼ばれた日本船舶振興会の笹川良一氏が、同艦には7兆円の財貨が眠っており、これを引き揚げ、北方領土と引き替えにするという意志のもとサルベージに挑み、重さ10キロのプラチナインゴットの引き揚げに成功します。

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(写真はお借りしました)

ソ連側はこれの返還を要求しますが、外務省は、戦時国際公法の規定によりこれを拒否しました。

重さ10キロのプラチナ塊!
現在の相場でざっと3800万円相当ですよ!

しかし、これも現在ではプラチナではなかったということになっており、かつては日本船舶振興会が設立した「船の科学館」で展示されていたそうですが、今はどうなっているのでしょうか?

このへん、このシリーズの12話に書いた、榎本艦隊「開陽」の埋没金に似ていますね。
その記事は  こちら

一説には、ロシア艦隊の財宝は、同じく日露戦争での蔚山(うるさん)海戦で沈んだリューリックに積まれていたとか、笹川氏の真の目的は、日本がインドシナで略奪した莫大な財貨を積んで沈んでいる第二氷川丸の引き揚げにあったなどの相当に怪しい噂も存在しています。

笹川氏の没後、ナヒモフの財宝は手付かず状態です。

貴方もこの夏対馬沖に潜ってはいかがですか?