私より少し上の世代の方たちの時代に顕著で、原題の直訳とは違っていますが、原題より見事に作品世界を表しています。
慕情 バルカン超特急 狼の挽歌 華麗なる賭け 俺たちに明日はない おしゃれ泥棒 史上最大の作戦 ぱっと思いつくだけでいくつも浮かんできます。
最近は、配給元のほうで勝手な訳によるタイトルで作品がコケたら責任を追及するみたいな傾向があって、冒険をせずに原題をそのままカタカナ表記する味気ないケースが増えています。
かつては耳慣れなかった英語が、そうとう一般化してきた社会事情もあるのでしょうね。
翻訳小説(まぁ私はミステリーしか読みませんが)も似たようなものであり、また少し事情が違うこともあります。一つの映画が違う会社から公開されることはありませんが、本の場合は違う出版社から出されるのは茶飯事ですし、英米物の場合、イギリスとアメリカでタイトルが変わることもしばしばです。
「そして誰もいなくなった」といえば、アガサ・クリスティーの名作として読んだことはなくてもその名を知らない人はいないくらい有名ですが、これは米国版の「And Then There Were None」に基づいており、イギリスでのタイトルは「Ten Little Niggers」でした。
(現在ではニグロは差別用語としてイギリスでもこちらは使われていないようですが)
エラリー・クイーンのこの本はタイトルこそ違え同じものです。創元社のものは原題通りの「ドラゴンの歯」ですが、角川のものは内容を表した「許されざる結婚」です。
どう考えても原作通りのほうがミステリーっぽいのに、なぜわざわざ凡庸なタイトルにしたのでしょうか?
このころの角川のクイーンの諸作は、たとえばデビュー作の「ローマ帽子の謎」を「ローマ劇場毒殺事件」としたり、「スペイン岬の謎」を「スペイン岬の裸死事件」にしたりしています。
「ニッポン樫鳥の謎」は「日本庭園殺人事件」です。
最近角川は、クイーンの作品を続々と新訳で出版していますが、この傾向は改まってきているようです。
また、上記の「ニッポン樫鳥の謎」は国名シリーズの1冊として知られていますが、原題は「The Door Between」です。
内容は確かに日本に関わりがあり国名シリーズのものと考えてもいいのですが、刊行されたのが日米関係が悪化し、太平洋戦争へとつながってゆく1937年だったことでクイーンはタイトルに日本という国名を入れなかったものと思われます。だから樫鳥にせよ庭園にせよわが国だけで通じる「邦題」ということになります。
こちらも元はまったく同じ本です。
厳密にいうなら、作者はカーター・ディクスンで、タイトルは「The Plague Court Murders」なので、ハヤカワのものがまるきり正しいのですが、やっかいなことにカーター・ディクスンはディクスン・カーの別名義であり、一般的にはカー(本名)のほうが知名度が高いのです。また、プレーグコートという一見意味の分からない言葉よりも、物語に大きなウエイトを占める黒死病(ペスト)のおどろおどろしさを印象づける意味からも、また同じディクスン名義に「赤後家の殺人」があることからそれとの対比で黒死荘を評価する声も高いのです。
事実最近カーを積極的に新訳で出している創元社は「黒死荘の殺人」というタイトルを採用しました。
いずれにせよ、これは読んだことがないと思って買ってきても、じつはそれは持っている本だったってことが過去にはけっこうありました。
これを「邦題もと暗し」といいます(ウソ)
英語名だから原作通りだろうと思ったら意外に違うケースもあります。
ジェフリー・ディーヴァーの「ウォッチメイカー」は犯人を表す直截的ないいタイトルだと思っていましたら、原題は「The Gold Moon」でした。
「さらば愛しき女よ」(さらばいとしきひとよ Farwell, My Lovely )といえば、レイモンド・チャンドラーの不朽のハードボイルドですが、近年村上春樹が「さよなら、愛しい人」というタイトルで新訳しました。
世界のハルキムラカミだから受け入れたのかと思いますが、やはりこれは旧題に軍配が上がると思います。
映画でも小説でも、皆さんにとってこれぞという邦題はありますか?