生ける屍の死 山口雅也
文藝春秋の「東西ミステリーベスト100 」2013年版において、国内部門第15位を獲得した作品。
アメリカ、ニューイングランドのトゥームズヴィルでは、大規模な葬儀社と墓園を経営するバーリィコーン一家が権勢を誇っていた。この地で葬儀社を営んで財を成したスマイリー老は死の床にあり、一族の者たちはそれぞれの思惑を持って彼の死を待っていた。
そこに、長く行方が分からなかった孫が、イカれたパンク野郎となって戻って来る。
そして奇妙な事件が幕を開け、主人公のパンク青年がお茶会で出されたチョコレートを食べて死んでしまう…
やがて次々に関係者に死が訪れ、隠しカメラの映像には仮面を被った人物が写っていた。
と、これだけのあらすじでは、アメリカ版犬神家の一族のような感じを受けますが、
この作品のなんといってもすごい所は、死者がなんの理由もなく次々と蘇ることです。
死んだパンク青年も蘇り、探偵の真似事を始めるのです。
今殺された被害者たちがものの数分で蘇り、またバタバタと事件を複雑にしてゆきます。
舞台が葬儀社ということもあり、死体はわんさか登場します。
最後の謎の解明に至って、まことに合理的論理的な説明がなされ、この異常状況下でしかありえない推理と前代未聞のプロットが成り立つことに読者は唖然とするしかありません。
って、いってもなぁ…
心臓死も脳死も経て、血液流通も止まり、少しずつ肉体の腐敗も進行していながら、動き走り車を運転し、驚き悩み考える。
この設定を許し、さらに犯人の行動がこの設定の中の理論に求められるのなら、
登場人物は、空をも飛べ、壁をもすり抜けることさえ作者の自由になるのではないでしょうか?
“その条件下において論理的” であったとしても、その条件がどこまでの可能性を内包しているのかは読者にはわかりません。
読者レビューなどでは、推理小説ファンからの高い評価が数多ありますが、
私には生理的に受け付け難いものでありました。
スラップスティックコメディの味つけが濃く、生ける屍(ようするにゾンビ)が大活躍ですがホラー感はありません。
しかし、日本人作者の書く海外ミステリーの例にもれず、その背景や舞台をくどくどと語り過ぎるきらいがあります。
(これは、やはり名作といわれた笠井潔の「サマー・アポカリプス」などにもいえると思います)
また、一族はバーリィコーンという姓こそ馴染みがないものですが、名前はジョン、ウイリアム、ジェイムズ、ジェイスンなどとあまりにもありふれていて、誰が誰だか混乱しました。
私は海外ミステリーはそんなに不得意じゃないと思いますが、この本一冊読み終える間に、他の小説や論説、エッセイなどを6冊も読んでしまいました。
まぁ辛口の書評になりましたが、私以外での評価は高いので、ありえない世界のユニークな事件を読んでみたい方にはお勧めします。