火災発生は当日の未明ということになっていますが、記憶では深夜、日が変わって間もなくではなかったでしょうか?
というのも、翌日からのテストに備えて、かなり遅くまで勉強していたのです。(翌春の受験生でもありましたし)
その頃、親友で吹奏楽部の部長だったYくん(同じ高校に進み数々のイタズラを一緒にやった彼)は、2階にあった自分の部屋が学校の真正面に位置していたことから、立ち昇る炎を見て、先ずは学校にすっ飛んで行ったそうです。
映画のワンシーンみたいな光景の後で、
これはみんつちに知らせなきゃ!と思い、私の家にやって来ました。
(我が家からも、その時外に出てみれば、空が赤々としていたことはわかったはずです。)
ところが、着いてみると私の部屋の電気が消えていたので、玄関前まで来たものの、そのまま踵を返して帰ったというのです。
家は平家で、私の部屋は玄関の隣でした。
窓を叩けば済む話です。
起こせよ~!
後でYの話を聞くと、どうも電気を消したばかりの時間で、寝入ってはいないはずでした。
一生に一度の見ものを見逃しました。
翌朝、6時に学校からの電話で起こされました。
何度か書いておりますが、当時私は生徒会長だったので、学校側もいち早く教えて、すぐに登校するようにとのことでした。
で、前回の呆然の話となります。
もちろん授業なんかできるはずもなく、
とりあえず集まって来た生徒たちをグランドに集めて緊急朝礼みたいなことになり、学校側からの説明もありましたが、事前に含められていた私こと生徒会長から、『僕たちは気持ちをしっかり持って、規律正しい行動をしよう!』なんていう感動モノの決意表明がありました。
15歳の当時から今にいたるまで、人前であることないこと自由自在に喋ることが私のモットーなので、この時も別になんとも思わず朗々と演説をしましたが、担当の先生はちょっと呆れていたかなぁ?
子供たちの出る幕じゃないので早々に解散。
他日を期すことになりました。
先に上げた図の通り、私たちの教室は焼け残りました。
翌日からの清掃活動で、教室中ススで汚れた被害はありましたが、とりあえず住処を追われたわけではないなと、
安心したのもつかの間。
現場検証で火元は保健室と発表があってからの私たちは、とんでもない窮地に堕ちることになったのです。
つづく