小樽に住むアンゴルモアの弟が、休みなのか、今年できた厚別区野幌の北海道博物館で開催されている『夷酋列像』の特別展を見にいかないかということで、
よっこらしょと行ってまいりました。
(とはいえ、弟が迎えに来たので私はなにもしませんでしたが)
夷酋列像とは、江戸時代に松前藩の家老で画家でもあった蠣崎波響が、アイヌの指導者のうち藩へ協力のあった者たちを描いた肖像画です。
数年前にフランスのブザンソン美術館でほぼ揃いの物が発見され話題になりました。
(画像はお借りしました)
この絵は、松前藩から貸し出され、また蠣崎波響と個人的に交流のあった画家たちにより多数模写され各地に伝わっています。
函館市立博物館にも、波響の直筆で同デザインの物が2枚所蔵されており、私は子供の頃から何度も見てはいましたが、
今回フランスから里帰り公開されている実物の存在感はやはり圧倒的でした。
しかし、江戸期の彩色絹本を保護するために照明が極端に暗く、私の眼の能力ではよく見えない状態だったことが残念でした。
また、平日の午後にも関わらず高齢者を中心にけっこう混んでいたのにも驚きました。
場所は札幌市と江別市の境にある野幌森林公園の中で、交通の便が良いとはいえないところなんですけどね。
作者の蠣崎波響は藩主の息子として生まれ、家老の蠣崎家に養子に入り、その後藩政に敏腕を振るいました。
かの新選組二番隊組長で、京洛の巷に幾多の血の雨を降らせた永倉新八の父親とは従兄弟同士に当たります。
波響の母は長倉勘子といい、藩主の側室として寵愛を受け、正室亡き後は奥を取り仕切った女性でした。
彼女が永倉新八の祖父と実の姉弟となるのです。
新八は、武者修行のため脱藩する際に生家に迷惑がかからぬよう長倉から永倉へと字を改めます。
新選組の幹部として鳴らした新八が、あっさりと勤王側の松前藩に帰参できたのは、この出自の良さに負うものが大きいのですね。
この辺の事情は、ブロ友で長倉家直系子孫の岡山の新八様の方が詳しくですけど。
新八さん、こんな説明で合ってましたかね?