家船(えぶね)といわれた、定住地を持たない船舶居住漁民に伝えられたもので、
それを持っていれば、どこの海でも漁をしても許されるといったお墨付きみたいなもので、なんと神功皇后から与えられた権利ということになっています。
江戸時代までの身分制度の中で、穢れとされた殺生に関わる職として、漁民は農民よりも下の地位ではありましたが、漁村を形成し、被差別民よりは上位といった、一種あやふやな立場にありましたが、その中で、村に属さず、家を持たぬ家船たちは、身分外の者でありました。
いわゆる山窩(サンカ)の海版といったところでしょうか?
穢多、長吏、河多、非人といった身分外のいわゆる「まつわろぬ民」には、この手の特殊免許に該当する伝承が多々あります。
山窩の一種でもある木地師は、ロクロを使って木製品を作る人々ですが、
彼らは、平安時代の惟喬親王からその技を伝えられたということになっており、古くは朝廷、のちに信長や秀吉によって、全国どこの山でも、八合目以上の樹木の伐採を認められたということになっています。
また、江戸時代までの関東における穢多頭であった浅草の弾左衛門は、源頼朝によって、関八州の長吏を束ねる権利を与えられたとする、弾左衛門由来書を持っていました。
さて、
私は、被差別階級や、まつわろぬ民こそが河童の名を冠せられた者との立ち位置ですが、この差別に関しては根があまりにも深いので、一旦置いておくことにして、
今回取り上げた、神功皇后、惟喬親王、頼朝、信長、秀吉には共通点があります。
滋賀県との関わりですね。
神話上の神功皇后は、滋賀県の生まれですし、藤原氏に疎まれ皇位から遠ざけられた惟喬親王は滋賀の小野に隠棲しました。
頼朝は関東の人間のように思われますが、それは伊豆に流されて以降であり、そもそもは都住まいでした。その都から伊豆へ向かう途中で、源氏再興を誓った建部大社や、兵の主として信仰した兵主大社も滋賀県にあります。
(ちなみに兵主はひょうずと読みますが、これが兵主部、ひょうすべになると河童の異名でもあります)
信長は安土で天下を統一しましたし、秀吉が初めて城持ちになったのも滋賀県でした。
かねてから、古代史の謎に造詣の深いアメノマヒトツさんと、滋賀県の謎についてあれこれ考察しているのですが、この土地の謎は尽きないですね。
アメノマヒトツは目が一つの鍛冶神ですが、鍛冶の民も山窩の一種で、河童の眷属です。
マヒトツさんと私は、これが案山子と同一であるとも考えています。
鍛冶の神は、当然山の神であり、また石の神にも繋がるのではないでしょうか?
山、石、一つの目。
これって、プロビデンスの目じゃないですか?
なにか気になる一致のような気もします。
マヒトツさん、アメノマヒトツがらみで石にまつわるエピソードありましたっけ?
