Patrash Dash -16ページ目

Patrash Dash

心のための希望最終作戦、パトラッシュダッシュ。

私にとって日本がとっても大切で重要な意味を成すのは、
もちろん10代のほとんどを、20代になるギリギリ前まで過ごしたっていう理由もあるけど、
古い友達がたくさんいるから、っていうのも大きい。



私は、簡単に言うと
2歳の頃から16歳まで、
間に2年ずつ二回だけ韓国に帰って、
残りは全部日本で過ごした。

その二回が、幼稚園年長組途中~小学2年1学期 と
小学6年2学期~中学2年1学期。
いつも夏を中心に動いた。



このうち日本で過ごした小学校の4年は、私にとってとりわけ大切で、
数えきれないくらいの転校と引越しの中で、
この4年間だけ、同じ町の同じ家で同じ学校に通ってた。
しかもこれがまた小さな学校で、
一学年に一組しか無かったから、4年間ずーっと同じ子達と一緒のクラスだった。
だから、未だに10年ぶりでも「同窓会しよー」っていうと、すぱっと集まるわけ。




中学ー高校(9~10年生の頃)も、大切なのは変りない。


小学4年を平和に過ごして韓国に帰ってからの2年は、それはもうひどかった。
いじめは当たり前、
しかも韓国の壮絶な教育の戦争にうちのママまで加勢して、
まだ韓国語もちゃんとしゃべれないのにテスト100点採って来るのを求められた。
毎日放課後は遅くまで塾で、
そのせいで大好きなバイオリンも辞めさせられ、今となってはもう弾けない。
だから、私はこの時代があまり好きじゃない。



でもこの後日本に帰って、インターナショナルスクールに始めて通い始めた一年目は、更にひどかった。
上の状況とは全然違う理由で、大変だった。
それは、友達が誰もいなかったの。


いじめなんかはないし、
嫌われるのはあっても、目に見えるいじめなんかはなかった。
私が通ってたインターは、お嬢様学校で有名だったから。

でも、彼らは基本、英語ができないと無視する。
そりゃもう透明人間くらいに、無視する。
それに9年生までは、食堂でご飯を食べなきゃいけなくて、
今は全然一人でも食べれるけど、その年で一人でご飯食べる根性なんか持ちあわせてなかった。
あんまグジグジした話はしたくないけど、トイレで食べたことだってあった。
今になっては笑って話せるからいいけどさ。



だからこそ、
一年先輩だった、今でも仲良いRyomiと
同学年のリジー、一年後に転校してきた明佳やイネスはとっても大切な友達。



彼らがいなかったら、私は一体どうしてたか想像すらできない。



でも基本彼らみんな結構ドライで、(特に最後の3人)
普段連絡がこまめだったりするわけじゃ全然無い。
お互いについてあまり詳しいこともしらない。
例えば、住んでる場所とか、お父さんのお仕事とか、最近何してるかとか。
まったく知らん。


でも、久しぶりに日本帰るよーっていうと、
どうにか時間をだそうとしてくれるし、
誕生日なんか祝う仲じゃなかったけど、
転校する時に思い入れがあるプレゼントをくれたりもしたし、
その時神戸に転校したんだけど、夏休みの間、芦屋にまで遊びに来てくれた。



今のホンイク大学でも、
ごく少数、すごく仲良い友達がいるけど、
彼らとこのインターでの友達が、
多分一番私が正直になれる友達じゃないかと思う。


明佳には未だに、
「お前ほんと変わんないねーうるっさいのもそのまんま。」って言われるwww






彼らがいるかぎり、
多分私の心の故郷が日本であることは変わらないと思う。