集中治療の時を覚えている人は少ないと思いますが


私も


気がついたらいろんな場所(様子を見る部屋とか)にいた、


そしてまた眠りにつく、、、


だったかと記憶しています。



処置の有無もありますが

発見されるまでの時間なども含めて

処置の速さがどうだったかと言う事で運命が決まると


現世(いきなり)ではなっているから


私は半身のリハビリを続けながらも動いていられるので

幸いにも適切な処置が速かったということ。

これを先ず認識しています。



一つ悔やまれるとすれば


、、なんてことは無い。


今の私自体に、それはないのですが


こういう風に言って貰える時があります。


「あの時、もっと早く処置出来たかもしれない」




大きな文字には出来ませんが、、


まれに見る汚部屋だったので


救急隊の方が大変苦労したとのことでした。



すぐにでも処置を施したい、

なのにそれを出来なくさせていた。


私ですね。


私の怠慢な人生がピリオドになるんだなあと


うっすら聴こえる人々の声の中、思っていました。


けど、そんな事はよくて



暑い中、もっともつと暑苦しい空間で隊員の方が


汗だくになってデブを運んでくれたそうです。




3年前のちょうどこの時期


この日付けでした。





私などが言えることでは無いですが



もし汚部屋をお持ちになられている方がいたら、


ぜひ、部屋は片付けておきましょう。



物をどかさないとカラダを運べない絶望がそこにあります。




救急隊員の方の

その日の貴重な体力、並びに


カラダが埋もれるている場所には

コイツの自堕落な結果集められた素材ばかり

勿体ない


しかし自分達は

コイツを救わなければならない



そんな中で

意気を消沈させてしまわないためにも。



処置が速ければ、


奇跡的に

『車を運転できる』まで回復するかもしれない。



『後ちょっとこうだったら、、、』


それで延々と悩む日々もまた辛いものであるなあ


倒れて

蘇って、退院して


また外の世界を学んでいる私がいます。


厳しい現実に変わりは無い。



“言葉を選んで

上手いこと、美味いコト言ってるじゃん”


そういう言葉も

今は受けることが出来ます。



解る。


いろいろいろいろ


人にはいろんなことが

有る。



しかし

生活立て直しの意義は存在する。




マヒ後の状態においても


これで済んだ、の内訳はその人の人生に応じて限りなくアルモノだと解った。





本当。

私などが言えることでは無いのですが…


私だから言えることなんだよなあと。



内容的に気分が悪くなるか

文章的にもお目汚しにはなるかと思いますが

また記してみましたメモ



どこをどう弄っても、


今に至るまで


今日という日はどうだった、〇〇があった


などなど


今後もブログを書く根底には

そのまま丸ごと


汚部屋から救出してもらったという奇跡があること


書かなければとずっと思って来てて



かつて書いたあの事(物を持ち過ぎ、記事はすぐ削除する人)のスピンオフとして


初の投稿内容になります。





 ​おべや住人


汚部屋の住人は


『汚部屋』や『汚部屋を片付ける』

『片付け』という字を見るのを


嫌うと言うよりは


極端なダメージを喰らう。



なんというか


『汚』とは

微塵も思ってないから?


汚部屋ということは理解する。


周りの《評価》

多くは《態度》によって“学ぶ” からだと思う。












カエルチューリップオレンジ