かつて、双璧と称された稀代の名ピアニストがいました。
アルトゥール・ルービンシュタインとウラディミール・ホロヴィッツ。

ともに、カーネギー・ホールを満席にし、一夜にして百万ドルを稼いだという、
いわゆる百万ドル奏者でした。


ことにホロヴィッツは、10年間の隠遁生活の後、
カーネギー・ホールで演奏会をするということが世に知れただけで、
チケットの予約が殺到し、演奏会当日にはダフ屋まで出て、
良い席のチケットに数万ドルの値がつけられるという騒がれようでした。


アメリカ在住の彼は、飛行機の移動手段を極度に嫌い、
大抵の場合は陸路を使いました。


常に4台のスタインゥエイ社製の
フル・コンサート・グランドピアノをトレーラーに積み、
専属の調律師とコックを引き連れて移動しました。


その移動の様子だけでも全米の話題になり、
取材班がヘリコプターで目標のトレーラーを追いかけ、
空中から撮影するということも決して珍しくはなかったのです。


移動手段に頑として飛行機を使わないので、
アメリカ大陸から外に出ることは少なく、
一時は幻のピアニストとまで言われていました。


そのホロヴィッツがついにアメリカ大陸を出て
イギリスで演奏会を開いたとき、老年になっていました。


イギリスでの演奏会当日の様子は日本でも衛星中継されたので、
まだ中学生だった私ですが、固唾をのんでテレビの画面に見入っていました。

確か、2階席の最前列に、
エリザベス女王とチャールズ皇太子が臨席していたように記憶しています。


漆黒の燕尾服を身にまとった老ホロヴィッツが舞台に現れ、
聴衆に深々と頭を下げた後、ピアノに向かって演奏しはじめました。

もっとも、この光景は、どの演奏家でもおなじみのもので、
格別に珍しい光景ではありません。


ただ、彼が最初に演奏をした曲が、プログラムにはない、
いわゆるサプライズでした。


なんと、彼はイギリスの国歌を演奏しはじめたのです。

会場はわずかに笑い声が混じるどよめきに包まれましたが、
すぐさま声は静まり、聴衆が座席を立つ音に変わりました。


片や日本国では・・・

今年の3月、卒業式の折、
国歌斉唱時に立ち上がらなかった小学校教諭の存在に対し
大阪市は処分をするか否かで揺れ、
それはテレビのローカルニュースでも触れられました。


そもそも、正式な席で流された国歌を前にして起立をするべきか否かとか、
起立をしなかった者は誰なのかとか、
そういう次元のことがマスコミに取り上げられる国など
世界中を探しても、おそらく見当たらないでしょう。


そいうことを知るよしは、当時のホロヴィッツには微塵にもなかったにせよ、
イギリスを訪問した後、来日し東京で演奏会を開いたとき、
日本国の国歌の演奏をしなかったし、 、
おまけに、ひどい演奏をして、それでも満場の拍手喝采を浴び
稼ぐものだけしこたま稼いで、平然と本国へ帰って行きました。


日本国は、日本人は、随分となめられたものです。

でも、ある評論家がインタビューで当意即妙に答えていました。
「骨董品にヒビがはいっちゃったね。残念だったね。」


世界のホロヴィッツという名声に名を借りた不誠実な演奏にもかかわらず、
その名声に躍らされた大半の聴衆の中に、
それでも確かな耳を持つ人の存在があることに、
日本もまだまだ捨てたものでもないなと、
そのシーンを思い出してはほくそ笑む現在の自分が、
確かに存在します。


そういう意味で、
ルービンシュタインは、誠意の人だったのです。

そのことは、数多残されている録音で分かります。

ホロヴィッツの録音から醸し出されるデモーニッシュな波動は、
ルービンシュタインからは微塵にも感じられません。
やや枯れた哀愁を漂わせる独特な彼のスタインウェイの音は、
あくまでもストイックで、ことにショパンに対しては神聖ですらありました。

どうせ同じ人生なら、ルービンシュタインの精神で生きてゆきたいものです。