私の頭の中の、強烈にかたくなで分厚い鋼鉄の扉が、
あることをきっかけに、ちょっと開いてきたように思います。
そして今、「考える」とは何たるかを考えています。
(小難しい言い回しだこと・・・(^^;))
多くの人は、行動を起こさずして「考えているよ」と言っていませんか?
と、エラソーに言い放ちましたが、
何を隠そう(隠さんでもエエのですけれど)、
わずか数週間前の私そのものなんですが・・・。
「今、考えているんだけれどね・・・」と言って「考えている」。
それって、お笑い調に表現すると・・・
考えているようで、考えていない(ベンベン)
考えていないようで、考えている(ベンベン)
それでどうかと尋ねたら、
答えは出ない、答えは出ない。
行動を起こす前に「考えている」と言うのは、
実は考えているのではなくて、悩んでいるだけ。
悩んでいたって答えは出ないから、
結局は堂々巡りのスパイラルを生むだけで、
プラスの流れを生み出しはしない。
だって、経験という大きな情報が、
つまりその経験こそが「答え」なんですから、
それがないのに、悩んだって、答えなんか出るはずがない。
でも,経験していない人には、それが分からないという悲しさ。
確かに、身勝手で無鉄砲な行動は、
行動をせずして悩んでいるだけよりも
いただけないので、
そこは臨機応変なのですけれど、
行動を起こす前に、ちょこっとだけ立ち止まってみて、
「よし!」という気合いを入れるタイミングを見計らえば、
身勝手で無鉄砲な行動には出ないわけです。
気合いじゅうぶんで行動して、自分の目で見、肌で感じ、
「よし、これはイケるぞ!」というパワーを受け取ってから、
今後、自分がどのような行動を起こせばいいのかを考える。
これが本当の「考える」ではないのかしら・・・と、
休日に出向いた大好きなスーパー銭湯の湯船の中で
「考えた」ことでした。