現在のイランのライシ大統領はトランプ大統領がイランとの核合意を一方的に破棄した後の選挙で選ばれた人で前任のロウハニ氏と比べてかなりの反動派らしいですが、イランの大統領は軍隊の指揮権を持っていないので彼の立場がイランの軍事、外交に重大な影響を及ぼすとは思えません。

そこで宗教指導者であり元首であるハネメイ師が革命防衛隊をしっかり制御できれば良いのですが、実際はそうではなさそうなのです。

前回紹介したパトリカラコスの記事でイランにおいて各部局が協力することなくバラバラに省益を追求することを指摘していましたが、彼がもう一つ指摘していたのが宗教指導者であるハネメイ氏の問題で、彼の権威が衰えてきていることを指摘しています。

「通常であればハネメイは物事を管理できたであろうが、宗教指導者の交代の時期を控え、全員が動き始めている。そして、誰もが他の人よりタフであることを示そうとしている。言い換えればイランの体制は権威を失っているのだ。体制の信頼性が欠如したために宗教指導者は強気を見せなければならない。もちろんこのゲームが続けばそれは危険なものになり、その結果誰もが望んでいないが、誰もが逃れられない大きな戦争に終結するかもしれない。」

パトリカラコスはこの記事においてイランの憲法については指摘していませんでしたが、調整力を失って各部局がバラバラに動くことや、それに対して元首や首相の力が及ばないことはビスマルク憲法の重大な欠陥なのでした。

以前にこのブログに書いたように、私がイランの憲法が明治憲法に似ていることに気づいたのはイランのアハマディネジャド大統領が核開発を加速させそれに対してアメリカのオバマ大統領がイランに対して厳しい経済制裁をかけている最中でした。

それからしばらくしてフランシス・フクヤマの"The Origins Of Political Order"という本を読んでいて彼もそのことについて書いていることを知りました。彼の本から引用してみます。

「ビスマルクの憲法やそれを真似た日本の明治憲法のようにイランの憲法はある一定の行政の権限を皇帝ではなく聖職者の階層にあたえている。しかし日本やドイツのようにこの行政の権限が腐敗して憲法に規定されている聖職者が軍を指揮するのではなく軍による聖職者の支配を増大させている。」

フクヤマのこの文章は現在のイランの現象をよく説明していますが、私は何回読んでも「行政の権限が腐敗している」(these exective powers are corrupting)という意味がよくわかりませんでした。

それよりもやはりビスマルク憲法は議会制と君主制を折衷したために議会も君主も権力が不十分で軍隊を制御できなくなっていると解釈した方が良いのではないかと思うのです。

いずれにせよこのような状態はとても危険で、ワシントン・ポスト誌のコラムニスで中東に詳しいデビッド・イグネイシャスは「この暗い道のりの最後は45年間続いている革命イランとその死すべき敵であるイスラエル、アメリカとイランの対決である。イラン政府はおそらくそんな戦いは望んでいないだろうが、その地域で秘密の作戦を指揮する影のイラン革命防衛隊はそれを望んでいるかもしれない。」と書いており、こんなところで大戦争が起こったら日本に石油がちゃんと入って来るのかなどの不安が襲ってきます。

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