前回は近代社会を運営していくためには中産階級の力が必要だという話を書いたわけですが、今回は與那覇さんが指摘した宋の時代にできた科挙制度が中国や韓国に存在したかもしれない中産階級にどのような影響を与えたのかをみていきます。

 

評論家の石平さんに『なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか』という與那覇さんが読んだら激怒するようなタイトルの本があります。

 

この本の中で石平さんが宋の時代に作られた科挙に合格した超エリートの役人が地方に派遣されてどのようなことをやっていたのかを外国の観察者を通して書かれている部分があるので、それを引用してみます。

 

明王朝の末期に中国に渡ったイタリア人宣教師のマテオ・リッチは「官吏が憎悪や金銭のために、あるいは友人に頼まれて、こういう不正(石平注:収奪)を働くので、チーナ(石平注:チャイナ)では誰もが自分の財産を保つことができず、いつも中傷によって自分の財産がみな奪われてしまうのではないかと怯えて暮らしている。」と書いています。

 

また李朝末期に朝鮮に滞在したフランス人宣教師のクロード・シャルル・ダレは「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。」と描写しています。

 

明王朝の末期と李朝の末期という時代の違いはありますが、中国と朝鮮において科挙に合格したエリート役人がやっていたことは共通しています。徹底的に地方の小金持ちからカネをむしりとることばかりやっていたのでした。

 

その結果、韓国や中国では中産階級が育つことは無かったのです。

 

一方、梅棹忠夫氏が『文明の生態史観』で指摘したように、ヨーロッパや日本では皇帝の独裁体制ではなくて、それぞれの貴族や武士が領地を治める封建制が発達しました。

 

封建制においては、それぞれの領地を領主がどうにか発展させようと努力します。そのおかげで農業や商売で成功する豪農や豪商が生まれてくる可能性があるのですが(ただ豪商や豪農でも封建制においては政治にはタッチ出来ず不満を抱くことになる。)、皇帝の独裁で地方に官吏を派遣する郡県制の国では徹底的に収奪されてほとんど何も残らなかったのが実態だったのです。

 

というわけで、封建制度が中産階級を生み出し、中産階級が作ったのが近代という時代だったのです。