以前このブログでも紹介した事がある與那覇潤さんが書いた『中国化する日本』という本に次のように書かれている部分があります。

 

「『どうして中国や朝鮮は近代化に失敗したのに、日本だけが明治維新に成功したのか?』という学問的に不毛なだけでなく、政治的にもしばしば有害な(しかしなぜか日本史上の最重要課題だと誤って信じられている)問題設定にいい加減、終止符を打ちたいからです。」

 

この問いに対する與那覇さんの答えが彼の本のタイトルになっている「中国化」というものでした。

 

彼は世界で最初に「近世」という「近代」よりもひとつだけ前の時代を築き、火薬や羅針盤、活版印刷を発明した中国の「宋」の時代に着目します。

 

宋の政治体制には2つの際立った特徴があると言います。一つ目は貴族制度を全廃し、皇帝の独裁制度を作ったことと、二つ目は政治は独裁だけれども社会や経済は徹底的に自由化したことを挙げています。

 

そしてこのような宋の体制が、鄧小平の政治は共産党の一党独裁だが、経済は徹底的に自由にさせた「改革解放」政策と同じではないかと與那覇さんはいうわけです。

 

つまり鄧小平の時代から中国の経済が急激に発展したのは決して偶然ではなく、最初に近世という時代を作った「宋」の時代の体制に戻しただけなのではないか、と。

 

本当に與那覇さんのこのような解釈は正しいのでしょうか?

 

私は全然違うと思ってるので、ここからその理由を書いてみます。

 

「近代」という時代をどのように認識すべきなのか、フランスのエマニュエル・トッドは次のように書いています。

 

「『中産階級こそが歴史の鍵を握っている』ということは、歴史を眺めて確認できます。ナチズムは中産階級の現象でした。フランス革命も同様です。日本の明治維新も中産階級に主導されたものだったはずです。上級武士ではなく、下級武士という中間層が中心的役割を担ったわけですから。」

 

ここで、トッドは近代という時代は「中産階級」が担っていることを指摘しています。

 

これは考えてみれば当たり前のことで、今我々が生きている「近代」が他の時代と違うことは、多数の企業やマスメディア、地方公共団体など、国家と個人の間に巨大な中間組織が無数に存在しており、そのような社会の中で我々は生きているということです。

 

そして、この中間組織を運営することのできる分厚い中産階級が近代社会を生きていくためには必要不可欠なのです。

 

日本がなぜ明治維新以後それなりに近代社会に適応できた理由は、トッドが指摘するようにある程度の中産階級が江戸期に生まれていたという事実です。

 

明治維新を主導した顔ぶれの経歴をみればそれはわかります。西郷隆盛や大久保利通、伊藤博文は下級の武士でしたし、坂本龍馬の実家は商人でしたし、日本の資本主義を作った渋沢栄一は豪農の出身でした。

 

明治維新はある意味、中産階級の革命だったのです。

 

では日本が明治維新を行なっていた1860年代ぐらいの清朝や李氏朝鮮に近代社会を担える中産階級は存在していたのでしょうか?

 

続く。