佐藤守さんという元空将が書いた『金正日は日本人だった』という本を読みました。


 小野田少尉が大東亜戦争終了後もフィリピンで30年近く任務を遂行していたのは有名な話ですが、小野田さんのような役割を持った人を軍事用語で「残置諜者」というそうです。佐藤さんは小野田さんの活躍を次のように書いています。

 「『残置諜者』を命じられた小野田少尉は、潜伏していた約30年の間も任務に忠実だった。持久戦法をたてて米軍に挑み続け島内にあった米軍レーダー基地攻撃を繰り返し、100回を超える戦闘を展開している」

 佐藤さんによると、旧帝国陸軍は小野田さんのような「残置諜者」を旧満州方面にも放ったというのです。これは反日の朝鮮ゲリラの様子を探らせるためだったそうです。その名を金策(日本名は畑中理)という。この金策という人物は金日成をもり立てて北朝鮮のトップになるように仕向け、また金日成の留守中に金日成の嫁と関係を持ち、その結果出来た子供が金正日だと佐藤さんは主張しておられます。

 金正日は朝鮮人と日本人のハーフなのだそうだ。

 さてこの金策(畑中)は朝鮮戦争を引き起こす事にも一役買ったそうだ。なぜ日本人が朝鮮戦争を起こさなければならなかったのかは、佐藤さんが北朝鮮の元軍関係者だろうとする「北のディープ・スロート」に語らせています。

 「朝鮮特需で経済復興の足がかりをつかみ、これが戦後の驚異的な経済成長につながっていく。また後に自衛隊となる警察予備隊が結成され真の独立国家へと脱皮する基を築いた。」

 すごすぎる解釈です。さらにこれよりもすごいのがベトナム戦争の解釈です。「北のディープ・スロート」に佐藤元空将はこう答えています。

 「大東亜戦争の終結は、1975年4月30日にサイゴンが陥落した時点ではないのか、と私は考えています。それは井川少佐ら旧陸軍将兵がインドネシア同様ここでもホー・チ・ミンの独立を支援し、ディエンビエンフーでフランス軍を殲滅し、その後フランス軍に変わって侵入してきた米軍を打ち負かしたからです。」

 ケネディー大統領の国防長官であったマクナマラの回顧録でアメリカは共産主義者と戦っていると思っていたが実はナショナリストと戦っていたのだ、と書いているのを読んだ事はありますが、佐藤さんはそれをさらにすすめて北ベトナムは「白魔」と戦う大東亜戦争の延長戦を戦ったのだと解釈する訳です。

 果たして本当に金策という人物が日本人だったのかは私にはわかりません。佐藤さんはこの本の中でそれなりの証拠を提示しています。しかし私がもっとも気になったのは『金正日は日本人だった』を書いた佐藤元空将の「歴史観」です。

 私が推察するところ彼は保守系の「アジア主義者」らしいのです。私は生まれてから今まで保守系のアジア主義者が書いた本など読んだ事など全くなかったのでそれがとても新鮮に感じました。しかし、この考え方には大いなる矛盾をはらんでいると思われるので、次の機会に書いてみたいと思います。

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