義父の口癖で「お金になる必要な知識が大事」という。義父の生きていくための知識とは、要は資格である。私の娘にも「食える学問に進ませろよ」というので「余計なお世話」と内心思っている。


ちなみに私は、文学部を卒業しているが「そんな役にも立たない学部より看護とか金になる学部に行けば良かったのに」と言われる。


正直、めっちゃムカつく。そして、旦那も少し似た考えだ。


育った環境だし、価値観の違いなので「そういう考え方もありますね」とだけ答えておく。反論するほどの余力もない。喧嘩するのもアホらしいと思うのだ。


私の祖父は東大に行けるレベルの古文の知識の持ち主だった。戦時中で結局は行けなかったが、個人でこっそり勉強は続けていた。もちろん、仕事で古文漢文の知識は使ったことはない。なんなら理系の分野だ。


定年退職して、始めたことは学生時代好きだった「枕草子」と「紫式部」の勉強だった。晩年は、好きな文学の世界に浸っていた。


素敵な人生だと孫の目から見て思う。そして、義父のお金のためだけの学問だけで生きていく人生は果たして幸せなのかと思う。


結局、義父は今でも「金がねぇ」と世の中に不満しか言わない。祖父は、お金は特別に使わずとも好きな知識の追求に晩年を費やしている。


学ぶということは生きていく資格ではなく、人生を豊かにしてくれるものだというのが祖父の教えで私も同様だ。甘ちゃんでお嬢様育ちだからと言われるけど。


私の学部も仕事には役に立ってないけど、好きな分野の方にはいったので、大学時代が1番楽しかった。あの時、教えてもらった男女感の恋愛の文学、向田邦子さんの本で心に残ったものは、辛いときにふと頭をよぎる。


旦那の姪っ子が、将来の役に立つというだけで好きでもない大学の学部へ行った。結果、留年だ。


結局、興味もなく、お金のためだけに選んだ専門知識は、脱落していくなというのが私の感想だ。


娘たちには、偏差値とかではなく、「何を学びたいか」を重視に学問をしてもらいたい。だから、今はベースとなる知識をしっかりして、色んな選択肢ができればいいかなと考えている。


私は、義父の合理主義者より、祖父のような人生を楽しむ知識で人生を生きてほしいと思う。