先ほど旦那の実家の年始の挨拶へ行ってきた。
年頃の姪っ子(特に下の次女)ちゃんは、食事中ずーっと携帯で遊んでいた

もう、食べるか携帯で遊んでいるしかなく、私たちの顔を殆ど見ない。
しかし、この子だけが特別じゃないんだろう。
大人だって、この子のようにスマホ依存をしている人が多いんだから。
私だってかなりの時間スマホを見ている。
人の事を言えた義理ではないが、こんなに食事中のスマホが不快と思わなかった。
旦那は、昔ながらの人なので「あれはいかん」と怒っていた。
私はなぜ父親が一言も注意をしないのか不思議で仕方がなかった。
何度も書いたがこの姪っ子の父親は、一見まともそうに見えるんだが、面倒な事には逃げる癖がある。
家のゴミ屋敷にしろ基本的にだらしないのではないか…。
人当たりは、柔らかく悪い人ではないけど、どこか横着なんだよなといつも感じる。
あの問題児の義父が孫に気を使って「塾に行ってるようだが、成績は上がったか??」と聞くと「上位30番内には入っている」と携帯をいじりながら話した。
「勉強できてもそれじゃ通用しないからなぁ」と義父は漏らした。
義父の言いたいことは何となくわかった。
しかし、次の言葉に疑問を感じた。
「勉強しても意味ねえよ。結局は稼げるかどうかだ」と。
ものすごく意義ありな意見だったので、お酒も少し入っているせいか反論してしまった。
「私は、勉強するって大事だなって大人になると思いますね。私もあんまり勉強してこなかったから言えた義理じゃないんですけど、きっと勉強ができるとかじゃなく、勉強をして頑張った努力が社会で役にたつのかなと思います。」と話すと義父は真っ向から否定してきた。
「違う。そんなもん役にたたん」と。
そうなんかな…。何でも義父は、銭勘定で考えるが、昔習った現代文のエッセイの一節とか歴史の偉人の話とか心に残ってるフレーズもある。
お金だけじゃない学ぶことの大切さって辛い時の心の糧になる時だってあるんじゃないか…。
だって、道徳にしたって国語能力がないと理解できないじゃない!?
しかも、勉強してこなくても義父はそれなりに稼いでたなら説得力があるが、あんたそんな稼いでないやん…。
義母の稼ぎがあったからここまでこれたんやん。
ちなみに義母は学ぶことが好きな人だった。
だからこそ、仕事も出来た人だったんじゃないか。
結婚してこういった旦那の親戚との価値観の違いに多々考えさせられる。
当たり前なのかもしれないけど、旦那の育った環境はやはり私と大きく違うんだなと改めて感じる。
しかし、やっていくしかない。
私はここに嫁に来たし、自分の信念を持ちながら上手くこの家の嫁としてやっていかなければ…。