フランスの宝と言えば数々ありますが、今回はセーブル陶磁器をご紹介します。

セーブル焼きは、特別な美術品として位置付けられており、市場に出回らないお宝として有名です。

 

 

 

 

 

現在制作されている陶器は、エリゼ宮の晩餐会用や、フランス外交のお土産として各国大臣などへの 贈答品 記念品とされているそうです。

 

 

 

 

セーブル美術館はパリ16区のセーヌ川をはさんだお隣。

メトロ9号線の終点 Pont de Sèvres で下車し、橋を渡った所に位置しています。

 

美術館の前のセーヌ川は自然が残っており、カヌー教室が開かれています。

それを眺めながらゆっくりお散歩するのもお勧めです。


 

 

 

◇国立セーブル陶磁器美術館 

 Musee de Sevres

・住所2place de la Manufacture 92310 Sevre

・開館:10時~17時。火曜日休館。

・入場料:大人6€ (年齢割引あり・ Paris museum pass可)

・館内:1階は世界の陶器と歴史。(無料トイレあり)

    2階はヨーロッパの陶器の歴史とセーブル陶磁器。

・ツアー解説:フランス語HPより申し込み。


売店:書籍やカードなどのお土産はありますが、セーブル焼きの陶器は販売していません。


設備:冷房とカフェが無いのですが、メトロ駅周辺か近所のセーブル市内で食事ができます。

 

 

 

 

では、館内の写真と共にセーブル窯とヨーロッパの陶器、アジアの白磁との繋がりを少しお話しします。

 

 

◇フランスとセーブル窯の歴史

1736年、ルイ15世の(公式なお妾さん)「ロココ様式の華」と呼ばれた才媛、ポンパドール夫人がパリとベルサイユのとの間に窯を開いたのがセーブル窯の始まりです。

 

 

 

◇ヨーロッパの陶磁器の歴史

16世紀、ヨーロッパの王侯貴族の間では、東アジアの白磁が珍重され、金と同じ位価値があったと云われています。

(中国の白磁、景徳鎮や日本の古伊万里・色鍋島・柿右衛門など)

 

各国の王は躍起になって、「陶磁器=白い金の製造方法を発見せよ!」との命令を出します。

 

1709年、ヨーロッパで最初に、原料のカリヨンを発見し製造に成功したのは、 ドレスデンのアウグスト強健王に捕らわれ研究していた 「ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー」で、現ドイツのマイセン窯でのことでした。

 

マイセン 2階展示室

 

 

マイセン 2階展示室

 

 

 

◇フランスのセーブル窯誕生まで

1738年、ドイツのマイセン窯誕生から約 30年後、ルイ15世の命により、パリの東のヴァンセンヌ城(城現存メトロ1号 )にシャンティイ窯が開かれました。

陶土は乳白色の軟質陶土に白い釉薬をかけ焼いたものでした。

 

ヴァンセンヌ城のシャンティイ窯

 

ヴァンセンヌ城のシャンティイ窯

 

 

1756年、ポンパドール夫人が、自分の城 Château de Bellevue の脇に窯を移築し、「セーブル王立陶器製作所」が誕生します。

(その城は現存しませんが、近所をめぐると築城の跡があります)

 

ポンパドール ピンク


 

それまでの重厚で男性的なバロック様式に比べ、軽やかで優美な女性的スタイルに変化したロココ様式。

セーブル窯では、当時の最高の芸術家や技術を誇る王室お抱えの職人によって、美術装飾品や置時計、燭台、食器などが作られました。




 

王様の青色陶器


 

 

 

ロココは、岩、貝殻などを意味するrocailleロカイユから来ています。


デザインは、S字の曲線とアカンサスの葉のC字の装飾を表していると云われています。




 

また、ロココ様式の色と言えば淡いペールカラー。

当時フランス国内には、他にも陶器窯がありましたが、陶器の色付けに多色を使って良いのは王立のセーブル窯だけだったそうです。



 

 

セーブル焼きのサイン

 

 

 

フランス革命とセーブル焼き


1764 ポンパドール夫人43歳の若さで結核で亡くなり、その後のフランス革命では窯が破棄され、優美な宮廷様式のロココも革命と共に終りを迎えます。

 

 

◇ナポレオンによって復興

フランス革命前の1766年頃、フランスのリモージュでようやく発見されていた白磁器の原料カオリン。

優美なロココ様式には、白く輝く硬い陶肌はふさわしくないと、革命前にはカオリンを使った白磁器は作成されませんでした。

その後、新政権の皇帝になったナポレオンは、自身の権威を誇示するため、新しい陶土カオリンを使いセーブル国立陶磁器製作所を復興させます。

 

 

ガラスがはめ込まれ、時代の変化が感じ取れます。

 

チョコレート入れ

 

時計とビスケット入れ

 

家具の陶器装飾と陶板絵

 

 

 

◇ 日本の陶磁器のヨーロッパ進出 

ヨーロッパの王侯貴族があこがれた白い陶磁器と言えば紀元前に中国で生まれたものです。

日本へは、秀吉の朝鮮出兵によって連れてこられた工人によって伝わりました。

1653年頃よりオランダの東インド会社を通じ、ヨーロッパに沢山の陶磁器を輸出します。

その荷が出港したのが現佐賀県の伊万里港です。

 

日本の有田焼 1階展示室

日本の陶器の特徴 

柿右衛門:白磁の肌を生かした赤色系の絵付け

古伊万里:呉須の青で絵付けし金や赤の模様をつけた有田焼。伊万里港から出荷したため古伊万里と呼ばれる。

色鍋島: 呉須で下絵を描 き、赤黄緑で色を付けた

 

深川製磁の香炉 1階展示室

 

日本の金継も紹介 1階展示室

 

 

 

 

ルイ14世と明朝の康熙帝(こうきてい)

1687年頃、ルイ14世は、イエズス会を通じて中国に50人ほどの宣教師を送ります。

宣教師たちは、康熙帝(こうきてい)に数学や天文学・医学などの西洋学を講話したり、マラリアにかかった康熙帝をキニーネで助けたこともあり、ルイ14世と康熙帝は書簡を交わし信頼を深めます。

宣教師が帰国した際の報告書などから、フランスでは、「中国趣味=シノワズリー」が大流行しました。

(今でも仏国の高級ブランドHのお皿には中国の絵が描かれていますね)



1F展示室


このキャスターの垂れさがるような模様は中国からの影響と言われています。

 

 

 

 

◇その他

このセーブル陶磁器美術館には、世界中の陶器が集められ、エジプトの遺跡で発掘された紀元前の壺まで展示されています。

イスラミックな中東の陶器、その影響を受けたスペイン、マヨルカ焼き、地中海からイタリアに渡った壺、オランダのデフォルト焼きなど一日かけても足りません。

 

模写したセーブル 2階展示室

 

 

 

 

ロダンの作の美術品 2階展示室

 

 

時代の変化に伴う、芸術や建築様式の推移と共に陶器のデザインや技術の変化が楽しめます。

アールヌーボーの壺 2階展示室

 

 

◇王侯貴族、皇帝の絢爛豪華な装飾品は、時代と共に一般市民の生活を題材に取り入れました。

 

 

バターを作る娘 2階展示室

(とてもフランスらしい)

 

la feuille à l'envers  2階展示室

 

 

1823年頃のセーブル陶磁器の様子。

このお皿はセーブル開窯300年を記念して日本でも公開されたことがあるそうです。

 
通常は2時間程度で見学できる美術館ですが、陶器好きには、丸1日かけても足りません。
このセーブル陶磁器美術館を見学しておくと、リモージュ陶磁器美術館やマルセイユの陶器博物館、他の陶器美術館見学の足掛かりになりとても勉強になります。
 
では、またね。