フランスに来てから、すっかお城好きになってしまった私。
最近の楽しみは、地図からお城を探すこと。
 
先日、偶然見つけ出したのは、ナポレオンと最初のお妃だった ”ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ”のお城 「マルメゾン城」です。
 


◇住所:Avenue du Château de la Malmaison, 92500 Rueil-Malmaison

 
🔸パリからの行き方は、とても簡単。
1、メトロ1号線 La Défense から、バス258のLa Jonchere行きのバスに乗ります。
2、27個目のバス停 "Le château "で下車。20分程のバスの旅です。
3、バス停近くに案内板がありますので、ゆっくり歩いて10分程です。
 


◇入場料は大人6、50€。入口右手の売店で購入。


お城を見学しながら、ナポレオンとジョセフィーヌのお話をしましょう。

 
◇ナポレオン1世= ナポレオン・ボナパルト
 
彼は 1769年、イタリアの、コルシカ島生まれのイタリア人でした。イタリア
地元の貴族だった父がフランス寄りだったため、長男と次男の彼は、フランスの学校に入ります。

パリの士官学校では、イタリア語訛りのため無口だったようですが、読書が好きで数学が得意でした。
大砲の戦術を学び、歴代最年少の飛び級で卒業し、1785年に士官として任務に就きます。
 

1789年、フランス革命が起きます。

1793年、全ての男性に選挙権が与えられた新共和政府は、
ルイ16世を革命裁判にかけ、パリの革命広場=コンコルド広場で、1月にギロチンによって処刑します。
(マリーアントワネットは10月)
 

そんな中、イタリアのコルシカ島のナポレオン家は弾圧に合い、フランスの南部マルセイユに亡命します。

裕福な商家と交友を深め、兄はクラリー家の娘と結婚し、ナポレオンは末娘と恋に落ち婚約します。

 


1795年。士官であった彼は、王制支持軍との勝利から 「国内軍司令官」の地位を手に入れます。

翌年、クラリー家末娘との婚約を破棄し、総裁のポール・バラスに紹介された「ジョゼフィーヌ」と結婚をします。

 



◇ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (ナポレオンの最初の妻)
 
彼女は、ナポレオンより年上で、既に離婚歴があり一男一女の子供もいました。
エキゾチックな美貌の持ち主で、「社交界の華」と言われていました。

 

彼女の最初の夫のボアルネ子爵は、フランス革命の後のギロチンで処刑されてしまいます。
 
その後、彼女も投獄されたり… 獄中で別の貴族と恋に落ちたり… 
パリを逃れて実家(西インド諸島フランス領)に帰ったりしますが、
生活のため、総裁政府の
ポール・バラスの愛人となります。
 

結婚は、ナポレオンが、ジョセフィーヌに一目ぼれしたという話もあります…。
 

総裁政府のポール・バラスさん。
ナポレオンとジョセフィーヌの、仲を取り持ったのでしょうか
?
いいえ!
どうも、自分の愛人だったジョセフィーヌに飽きて、ナポレオンに押し付けたようです。悪魔
 
(愛に生きるフランス人。いつの時代も絡まった糸はどこまでも複雑なようです。)
 
 

めでたく ? 結婚した二人ですが、ナポレオンは、常に戦地へ出張状態。
 
結婚当初から彼女の心は、別の男性へ行ってしまいます。
 

軍人として邁進したナポレオン。
1798年。
ナポレオン軍は、エジプトで勝利しフランス国民に熱狂的に迎えられます。

翌年の1799年。
ナポレオンはクーデターを起こし、統領政府の独裁権を握ります。
 

1804年。国会の議決と国民投票によって、世襲でナポレオンの子孫が皇帝の地位を継ぐことが決まりました。
(皇帝ナポレオンの誕生)キング
 
 

◇ナポレオンの功績
・フランス銀行を設立し通貨と経済の安定を図った。ドル
・レジオンドヌール勲章を創設。勲章
(芸術・学術・経済などに功績のあった人に贈られる勲章で、あの北野武氏も受賞している)
・ナポレオン法典=フランス民法典を公布。本
・他、フランスの産業振興工場や、ローマ教会との和解チャペル*。などなど。
 

ジョセフィーヌがようやく、ナポレオンの愛に気付いた時には、
彼と愛人の間には男子が誕生しており、子供がないことを理由に離婚を迫られます。
ハートブレイク

ナポレオンは、政治戦略からオーストリアの王家公女と婚姻をします。お城
 

ジョセフィーヌは、離婚後に「皇后」という称号と、巨額の年金をもらいながら、このお城に住み続けました。
 

ナポレオンが流刑された後も、最後まで支援していたのが彼女で、ナポレオンの臨終の言葉は彼女の名前だったと言う逸話も残っています。船

二人の間に子供はありませんでしたが、彼女の連れ子オルタンスと、ナポレオンの弟との男子は、後の「皇帝ナポレオン3世」となり、彼女の血は確実にヨーロッパの王室に付け継がれていくことになりました。
 

◇建物
・1階にはホール、レセプションルーム、音楽室、 食堂、テントを模した豪華な会議の間、読書好きで勉強家だったナポレオンの図書室や執務室があります。
(ナポレオンと云えばアンピール様式。必見です)

・2階は家族の寝室と、ナポレオンとジョセフィーヌの個人の寝室やパウダールームがあり、ナポレオンの戦地のテントを模したピンクの寝室は他にはない私邸だけの居室です。
各居室から、ジョセフィーヌの愛したイギリス式庭園が見渡せるようになっており、開放感があります。

・3階は、最近公開されたばかりで、ナポレオンのデスマスクやゆかりの物が展示されています。
 
 


◇庭園

裏庭のイギリス風庭園には、小川が流れ黒鳥が優雅な姿を披露しています。
 

バラの愛好家だったジョセフィーヌは250種類以上のバラや世界中の植物をコレクションしていました。
現在でも5月~6月のバラのシーズンには大勢の人が訪れます。
 

この城の植物を描いたのは、” ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ ”です。シャトー内では彼の繊細な植物画を見ることができます。
  
※彼の有名なバラの植物画集は、売店で購入できます。10€。
 
 
晩年のジョセフィーヌは、ナポレオンのフランス帰還を待たずにこの城で亡くなりました。
彼女の最後の言葉も、彼の名前だったとのことです。
 
 
では、またね。