父は、周りがびっくりするくらいの雨男だった。
父が楽しみにすればするほどに、豪雨だった記憶がある。

家を建てて入居の日も。
棟上げの日も。
私の結婚式なんて記録に残る台風だ。

台風と言えば。
私が大学生の時、家族で沖縄にいこうと、父は自分の小遣いを貯めてそれを家族の前にぽんと出した。
「これで沖縄にでも行こう」と明るく笑って。
旅行当日はまさかの台風で、ものすごいゆっくりなスピードでかつ、一度本島を離れた台風が弧を描いて戻ってくるというありえない経路だった。

幸い飛行機は飛んだけど本当は風雨で店も空いていない。それでも色々回れた。
家族は台風の風雨にあって不平不満を言ったが、父はそれでもニコニコ笑って聞いていた。

今日、父は入院した。
朝起きると父はすでに起きて、着替えようとしていた。今日は点滴のためのポートを首元に入れる手術をするので朝から絶食だ。
もう殆ど食べれていない父にしてみれば、一回ご飯を抜いたところで平気らしい。ただ昨夜は珍しく、私の息子が飲んでいたなっちゃんのりんご味をのみたがった。
そしてもうかすれて出ない声で、会社に電話しておいてくれと言っている。
そしていつものように私と7歳の息子の会話をニコニコしながら見ていた。

8:00。病院へ行く時間。
「お父さん、行くよ」
っと声をかけた。父は「ああ」と頷いた。呼吸がしんどそうで俯き加減だ。
しばらく待ってもくる気配がないので、様子を見に行くと、父はようやく立ち上がった。
そしてフラフラする足取りながらも歩いて、家を出て車に乗り込んだ。

梅雨が明けて、今日は快晴。
雲ひとつない真っ青な空が広がっている。


病院につくと看護婦さんが迎えに来て病室へ案内してくれた。
そしてすぐに今日の手術の段取りが始まった。
手術のあとは安静も必要とのことだったので、また明日くるねと告げて、今日は帰ることにした。

熱を測ると38度。
発熱してたらしい。

担当のI先生が元気付けに来てくれた。
「とりあえず1回目頑張るぞ!」
父も両手を上げて応えていた。
その後、父には聞こえないような小声で、私達家族に先生は言った。

「おそらく、抗がん剤の影響でもっと弱ってしまうかも。抗がん剤で癌が小さくなったらいいね。

でももう、治らないからね」

先生ははっきりと物を言う。
私たちも父も望んでいることでもある。
ただ、治らないという事実だけは先生は声を潜めた。1回目の抗がん剤でどこまで体力が持つのか、先生にもわからないのだろう。
私も母もそして幼いながらに息子ももう分かっているし、受け止めているつもりだ。

もう父は長くはないのだ。


今日は快晴。
なんか、いつもと違うね。やっぱり病院へ行くことは嫌なことなんだろうな。

「俺が出かける日は雨ばっかりや!!」

そう言ってニコニコ笑う父を思い出す。