<三浦梅園>をめぐるノート


1. 2015-0418

a. source
from : wikipedia- 三浦梅園
<著作集成>
「三浦梅園書簡集」小野精一編 第一書房、1943
『三浦梅園集』三枝博音編 1953 岩波文庫
「多賀墨郷君にこたふる書」『日本哲学思想全書 第2巻 (思想 思索篇)』三枝博音,清水幾太郎編 平凡社 1955
「道徳」『日本哲学思想全書 第19巻 (歴史・社会 歴史論篇・社会篇)』平凡社 1956
「戯示学徒」『日本哲学思想全書 第7巻 (科学 学問篇)』平凡社 1956
「玄語」『日本哲学思想全書 第1巻 (思想 哲学篇)』平凡社 1957
「敢語」『日本哲学思想全書 第14巻 (道徳 儒教篇・道徳論一般篇)』平凡社 1957
「価原」『日本哲学思想全書 第18巻』平凡社、1957
『医学古典集 第3 造物余譚』日本医史学会編 医歯薬出版 1958
『梅園全集』梅園会編 名著刊行会 1970
「玄語本宗」『日本の思想 第18』筑摩書房 1971
「梅園拾葉」『日本随筆大成』第2期 5 吉川弘文館 1974
『玄語図全影 三浦梅園手蹟依據』辛島詢士編 梅園研究所 1975
『三浦梅園』日本図書センター、1979 日本教育思想大系
『日本思想大系 41 三浦梅園』島田虔次,田口正治校注 「玄語」ほか 岩波書店 1982
『日本の名著 20 三浦梅園』山田慶児責任編集 玄語(抄)ほか 中央公論社 1982
『近世儒家資料集成 第1-2巻 三浦梅園資料集』高橋正和,五郎丸延編 ぺりかん社 1989
『三浦梅園遺墨撰集』三浦梅園研究会 1993
『三浦梅園自然哲学論集』尾形純男,島田虔次編注訳 1998 岩波文庫
『玄語 現代語訳』狹間久訳 大分合同新聞社 2009

<参考文献>
『三浦梅園自然哲学論集』岩波文庫 1998

<関連文献>
三枝博音『三浦梅園の哲学』第一書房 1941
田口正治『三浦梅園』吉川弘文館・人物叢書 1967
『三枝博音著作集 第5巻 (三浦梅園・日本文化論)』中央公論社 1972
田口正治『三浦梅園の研究』創文社 1978
三浦頼義『三浦梅園伝』草土文化 1981
高橋正和『三浦梅園の思想』ぺりかん社 1981
橋尾四郎『三浦梅園の教育思想研究』吉川弘文館 1983
山田慶児『黒い言葉の空間 三浦梅園の自然哲学』中央公論社 1988
小川晴久『三浦梅園の世界 空間論と自然哲学』花伝社 1989
岩見輝彦『三浦梅園の聲主の学 『玄語』初期稿本の研究』汲古書院 1990
高橋正和『三浦梅園 叢書・日本の思想家 23』明徳出版社 1991
壺井秀生『三浦梅園の思想体系 自然と道徳』全道舎 1993
浜松昭二朗『現代に生きる三浦梅園の思想』光陽出版社 1999
狹間久『「三浦梅園」は「三浦安貞」に改めよう』大分合同新聞社 2010

b. [profile]
from : wikipedia- 三浦梅園
享保8年8月2日 - 寛政元年3月14日 (1723年9月1日 - 1789年4月9日)
大分県国東半島 豊後国(大分県国東市安岐町富清)の出身
諱は晋(すすむ)

『玄語』『贅語』『敢語』、三界之書
梅園自身によって「梅園三語」と命名されている
この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである
このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった
「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍』、経世論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』など



2. 2015-0418
[External links]

a.
a-1.
三浦梅園資料館 - 国東市ホームページ
http://www.city.kunisaki.oita.jp/site/kyouikukage/baiensiryoukan.html
a-2.
三浦梅園遺墨館
http://www.oct-net.ne.jp/~baien/
b.
b-1.
三浦梅園 | 豊後の哲人の業績など
https://miurabaien.wordpress.com/
b-2.
三浦梅園:三浦梅園研究所:三浦梅園の謎を解く
http://www.coara.or.jp/~baika/
b-3.
三浦梅園のこと
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/philo/iwata/05Baien.htm
c.
c-1.
993夜『玄語』三浦梅園 松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0993.html
c-2.
三浦梅園「理屈と道理との弁
http://www.geocities.jp/sybrma/367baien.rikutsutodouri.html
c-3.




3. 2015-0418

a. text
『日本思想大系 41 三浦梅園』
島田虔次,田口正治校注
「玄語」、訳注本、原文校訂本、及び、図表、解説
岩波書店 1982

a-1. index

凡例

玄語 ・・ 島田虔次 訳注

1. 例旨

2. 本宗
侌昜
天地

3. 天冊 活部天神
道徳・徳
天神
事物
天命

4. 天冊 立部本神
本神・本
鬼神・神
体用・体
造化・用

5. 地冊 没部
天界之冊 /宇宙 /方位
機界之冊 /転持 /形理

6. 地冊 露部
体界之冊 /天地 /華液
性界之冊 /日影 /水燥

7. 小冊 人部
天人
給資
言動
設施
人道
天命

8. 小冊 物部大小
大物
小物
混物
粲物

玄語 (原文)付 校異 ・・ 田口正治 校訂


玄語図 ・・ 尾形純男 校注


解説

1. 「玄語」稿本について ・・ 田口正治
2. 三浦梅園の哲学 ・・ 島田虔次
3. 玄語図読図について ・・ 尾形純男
4. 三浦梅園略年譜 ・・ 田口正治

索引




4. 2015-0418 追記

a-1.
三浦梅園の生きた時代とは、西欧世界では
R. デカルト、B. パスカル、B. スピノザ、G. ライプニッツ、I. ニュートンらがひとつ前の世紀として、
I. カントやJ. ルソーらがほぼ同世代人であったし、博物学者のC. リンネもそうだ。

知られていることであろうが、本居宣長は1730年の生まれであり同時代人である。
革命的な激動の潮流が一区切りして、ある意味で社会文化の爛熟期として成熟している時代ではないだろう か。
この頃のことをあれこれと調べてみたいと思う。

a-2.
思い出したことで、もうひとつの重要な垂線のなかに近代西欧の自然科学の展開に多大な足跡を残した<一群>を余していると感じたこと。

19世紀以降へ明らかな影響をもたらした一群の<自然学者>たちだ。 天文学と、そして数理、幾何学を含め当時の数学に足跡を残した学者や人々、一区切りとして記しておこう。
私が充分に知らないということもあるのだが、数学史の側面と科学史の側面あたりからの考察、方法論に連なる科学思想哲学、等々。
近代数学史あたりの題材でもあろう周辺として、学問的に大学一般教養程度に毛の生えた知識しか持ち合わせないためと銘打たざるを得ないという手に余す部分も大きく、メモ程度のことでもある。
ではあるが、ある程度の枠組み認識の範疇として、ここで次のようなメモを残す。


19世紀以降、知られているように現代に至る群論が一躍進化し、併せて解析学の進化が当たり前なことのように近現代を支えていることを改めるまでもなく理解できることだ。 電磁気学の定理や法則でも有名なガウスは19世紀を代表する数学、物理学者とされるが、現代に至る近代自然科学の基礎的な<方法>を提出したという意味で重要な数理理論学者であり、<梅園>を巡るノートにその周辺を除くわけにいくまい。 ガウスに至る周辺の文化や思想を見ていくと、<梅園>が残した足跡の更なる立体的で多義的な理解につながるように思う。

以下、 調べ from : wikipedia

L.オイラー Leonhard Euler
( 1707年4月15日 - 1783年9月18日)
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ Joseph-Louis Lagrange
(1736年1月25日 - 1813年4月10日)
ピエール=シモン・ラプラス Pierre-Simon Laplace
(1749年3月23日 - 1827年3月5日)
ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ Jean Baptiste Joseph Fourier
(1768年3月21日 - 1830年5月16日)
カール・フリードリヒ・ガウス Carolus Fridericus Gauss
(1777年4月30日 - 1855年2月23日)

b.
先達といえる<遊学者>松岡正剛さんの<梅園>夜話は興味深い記載である
時代背景といえる関連事からの部分転載


from : 993夜『玄語』三浦梅園 松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0993.html

「 ・・・
梅園は享保8年(1713)に生まれて、寛政元年(1789)に67歳で没しています。これはどういう時代だったかというと、本居宣長とまったく同時代です。梅園が上で、7歳ちがい。宣長と平賀源内は3つちがいですから、梅園・源内・宣長はそれぞれまったく別の思想や表現をした人ではあるけれど、まさに同時代を共有したんですね。
この時代は元禄・享保と文化文政のあいだにはさまって、最近はとみに注目されている宝暦・明和・安永・天明の時代、すなわち「宝天文化」といわれている時代にあたります。宝暦と天明の頭文字をとった名称ですね。

梅園を語るには、この宝天文化の思想の多様性と独自性とが勘定に入っているほうがいいと思います。この時代は、日本儒学と国学と蘭学(洋学)と、そして懐徳堂の時代なのです。
たとえば梅園は少年のころ、杵築藩の儒者の綾部絅斎と藤田順則に師事をしたのですが、この絅斎という人は伊藤仁斎の門下の北村篤所と、その仁斎の子の東涯に学んでいる。そのうえ室鳩巣や服部南郭とも交友しています。順則もやはり東涯の門に学んだ人です。
若い梅園は、こういう日本儒学の台頭期の流れをうけた人に学んでいたんです。
また、この絅斎の子に、江戸の天文学者として日蝕を正確に予測して世間を瞠目させた麻田剛立がいるのですが、梅園は剛立とはかなり親しくして、つねに洋学を吸収していた。のちに梅園がティコ・ブラーエの天文学に傾倒するのは、このせいです。
その剛立が脱藩して身を寄せた大坂の懐徳堂は、私が大好きな私塾ですが、中井竹山・中井履軒の兄弟がおこしたもので、そこに内藤湖南が梅園とともに絶賛した富永仲基や山片蟠桃が学んでいたのです。梅園は中井兄弟とも文通をしていますね。
このほか、この時代は京都では文人ネットワークが花開き、大雅・蕪村・頼山陽が、江戸では浮世絵がぞくぞく開花しています。いろいろ見てみると、この宝天文化の思想者や表現者やネットワーカーたちは、いずれも独創に富んでいるんですね。
・・・ 」

以上


>付記
懐徳堂
江戸時代後期に大坂の商人たちが設立した学問所。
明治初年の閉校、大正時代の再建、太平洋戦争による罹災焼失を経て、
現在は大阪大学が継承しているとされる。

from: wikipedia - 懐徳堂