父を想う | いつかどこかで

いつかどこかで

いつかの私へ。いつかのあなたへ。

雫のきままなひとりごとです。

父は 私が子供の頃、日曜日はテレビでよく洋画を観ていました。

茶の間で西部劇を観ていた背中が、印象に残っています。

まだ小さかった私は全く興味がなかったけれど
学校を卒業し就職したばかりの頃には、仕事帰りに銀座の名画座で、よくリバイバルの映画を観ました。
オードリーヘップバーンに憧れ、グレースケリーも好きでした。



晩年、父とふとした会話で、昔の映画の話になった時、父の知識の豊富さに驚いたものでした。

あの映画の誰それがよかった、と次から次へと話してくれました。私の知らない俳優の名前が次々出て来ます。

父は、ジャンギャバンがカッコいいと言ってたなあキラキラ

西部劇では、「シェーン カムバ〜ック!」
と言うのが流行った時もありました。

「ゲーリークーパー」と言うダジャレ(失礼)も流行ったなぁ。


エレクトーンで、「鉄道員」と言う曲を練習していた時には、父が「この映画観たなぁ」とら懐かしがって、そこで私は初めて これは映画音楽なのだと気づいた、という事こともありました。




もっともっと、映画の話を聞きたかったよ!
もっともっと、昔話を聞きたかったよ!
謝りたいことも、感謝の気持ちも伝えてないよ。

まだまだずっとそばにいると思っていたから、
いつでも話ができると思ってたから…

なんだか気恥ずかしくてたまにしか連絡しなかったのが悔やまれてしかたありません。


電話が恥ずかしいなら、毎日ラインで写真を送ればよかった。返信いらないよっていえばよかったんだ。今頃気づくなんて。

亡くなってすぐの頃、お寺の梅の花が綺麗で慰められました。
父が完成を心待ちにして見るのが叶わなかった鐘堂も「梅薫閣」という名が付いています。


新元号が発表され、その意味を聞いた時
あの梅の花と  父への思いが蘇り 心が震えました。

早速父の写真に報告しました。



さてワタクシ、昭和最後の旅に出ます。
なんと、羽田↔︎鹿児島 日帰り旅行です!
妹のところに行って、家族で過ごした昭和の懐かしい話に花を咲かせて来ますハート

訂正
昭和最後の旅 ではなく平成最後の旅でした。
心は昭和なので、あながち間違いではないですけれど 爆笑