Mintの喫茶探訪記 -7ページ目

Mintの喫茶探訪記

お茶すること、食べること、旅すること等々、綴っています。

遅ればせながら、新曲の感想を。


4月に武道館ではじめて聴いてから、

今日に至るまでのあいだに、

堅さまがメディアなどに出られて語ってらっしゃったので、
身に起きた出来事やこの曲に込められた思いを知ることができました。



たしかに人生の苦難や、厳しさを歌ったものかもしれない。

ずん。って、くる。
だけど、それだけで終わらない。
底に行きついた先に、何かが反転しているというか。


この感じは、
堅さまがライブで
「生と死のボーダーラインに立って、死の側から生を見つめた歌」
って言っていたことなのかなー?って思ったり。


重みのある言葉が連なるなかで、

『僕は あなたに あなたに ただ 会いたいだけ』

と、何度も繰り返すこのフレーズ。


余計なものをそぎおとしてそぎおとして…
残ったその一点。
シンプルなだけに、思いの強さが際立って
強靭な光を放っている感じとゆうのかな。

その一点の光が消えないよう、
必死に守ろうとしてる人の歌にきこえるのです。


光といっても、"希望"と呼ぶには、ちょっと違う気もして。


浮かんだ勝手なイメージは、

暗い海を照らし出す灯台の灯り。

真っ暗な海にいる船乗りたちが、
遠くにある灯台の光を見つけだすように、

その光を必要とする人に、届けるための灯火。

遠く遠く彼方にある魂をも
照らし出すことができるんじゃないかと思えるような。


届いてる。たぶん。

大切な人にも。

そして、それぞれの場所で、各々の悲しみを抱いてる人たちにも。





「強いとは、悲しまないことじゃない。悲しみながらも生きていることなんだ。」

心にに残っていた若松さんの言葉を引用するけど、
たしのなかで、この言葉と共鳴してる。


堅さまのいつかのコメントで、
「諦めずに生きようとする勇者たちを歌った曲」
って言ってたのが、
ちょっとわかる気がします。



つらい時に、叫べる相手か。
見つけられたらよいけど
見つからなくても
堅さまの歌があれば
それでいいな。




あと、歌詞がタテ書きのところとか、
カップリングの曲、これ持ってきたか!とか、
「おっ!」と、思うシングルでした。

カラスは「わっ…。(;´д`)」


うまく言えないので感嘆詞。



















この前、映画観に行った足で、
茶亭羽當さんに再訪してきました。


渋谷は苦手でいつも早く帰りたくなってしまうけど、このお店は落ち着けますコーヒー



お客さんの雰囲気に合わせたカップでだしてくれるとのことですが、

さて、今回は・・・・










ブルー×ゴールドのカップ

ちょっとロシアとか北欧っぽくて、
どストライクな雰囲気のカップでした口笛


しかも、スプーンが羽根のカタチしてるー!


って、カップもよく見たら



鳥さんの柄でしたセキセイインコ青






前回はバナナシフォンケーキ食べましたが、
シナモンシフォンケーキにしてみました。
これも、美味しいぺこ





小腹満たして、駅に戻って


あれ?もしかしたら、と思い

渋谷のど真ん中で張り込み(←「小さな巨人」風に言ってみた)








堅さま確保~ドキドキ


新曲発売になった頃だったので、アドトラとかも走ってるのかな?と思ったけど、
人混みに酔いそうだったので、
とっとと帰りました。



「小さな巨人」、俳優さんの苦虫を噛み潰したような表情に毎回注目してましたが、
回を重ねるごとに、どんどんすごくなってて、
最終回の顔対決はマックスでしたね。


今年は夏休みとって、七夕bar行きます!
ステラシアター行ったことないので、非常に楽しみ。










最近、ぼんやり考えを巡らすことがあって、でも、つかめなくて、頭の中でぐるぐるしてたのだけど、


わたしが感じてたのは、このことだぁ、と

若松さんの著書を読み返していて、みつけた。



俵万智さんが帯コメ書いてる「悲しみの秘義」。

この装丁、1枚の絵を6等分してつくっているので6種のカバーがあるそうです。6分の1ピースの素敵な本ですが、そこに、こんな文章があった。



「 人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが、胸にあるのを感じているからだろう。
言葉にならないことで全身が満たされたとき人は、言葉との関係をもっとも深めるのではないだろうか。 」


若松さんの著書によく「コトバ」という文字が使われている。
「言葉」ではなく「コトバ」と書く。

若松さんが言う「コトバ」とは、文字、言語だけのことではないらしい。

ある人にとっては、色、音、形で表すのがコトバとなり、黙って寄り添う沈黙や、誰かへ向けたまなざしさえコトバだという。

上手な、流麗な文章だからといって、心に届くとは限らない。
自身の心に裏打ちされた本当の言葉なら、
言葉にならない呻きであっても、必ず届くという。


何かに心を深く揺さぶられる体験をして、
ずっとずっと、それが心に足跡をつけたまま離れない時。
余韻というのか、匂いというのか、気配というのか、わからなかったけど、
その正体は、形はないけれど確かに存在するコトバだったのかもしれない。


「コトバが心に届くとき、人は何かに抱きしめられたように感じる」

うん。この感覚、知ってる気がする。
またこんな一瞬に出会えたらいいな。








 つづいては、愛のお言葉です。本屋で見つけて気になって。

 

100人の作家による100通りの"I Love You"の訳し方。


夏目漱石が"I Love You"を「月が綺麗ですね 」と訳したのは有名な話だそうですが、

国内外問わず、多種多様の表現が読めたのは面白かったです。



んが、思ったより、響く言葉が少なかった…。

わたくしの干物化も、末期でしょうか( ;∀;)

感じ方も、受けとる人の数だけあるのでしょうが。



そんな数少ない響いた言葉のなかで、いいなと思ったのはこちら。



すきになる    ということは 

心を       ちぎってあげるのか

だから     こんなに痛いのか

                                    工藤直子『痛い』より

工藤直子さんの詩、一番自分の感覚に近い気がしました。




僕は愛する清さんの事になると全くの馬鹿になってしまう。僕はどうして居たらいいのだろう。

           内田百聞『堀田清子へ宛てた手紙』より


こんな手紙をもらった清さんは幸せ者だなぁと思いました。飾った言葉より、グッとくる👍




僕はあなたをおもうたびに

一ばんじかに永遠を感じる

                                 高村光太郎『僕等』より


「智恵子抄」という詩集のなかにある『僕等』という詩の1節ですが、自分が持っている「智恵子抄」をひさしぶりに広げて読んでみたんですが、この1節につづく「僕があり  あなたがある  自分はこれに尽きている」という部分にLoveを感じました。


さらに『僕等』の一編を読み通すと、本当に一心同体のご夫婦だったんだなぁと。


過酷な面も垣間見えるのですが、第三者には介入することができない、1対1のあいだでしか、わからないことが、きっとあるんだろうなと思いました。



竹久夢二、川上未映子さんのも好きでした。




最後に、堅さまファンのわたしとしては、

ぜひともここに、エントリーしたい言葉があります。


「僕の心をつくってよ」 by けんひらい


これね。やっぱりよいです(*≧∀≦*)


さっきの『僕等』にも通じるものがあって、

ドラえもんとのび太の関係でもあるけれど、

"あなた"と"わたし"

1対1のかけがえのない存在をこんな風に表現されるなんて、改めて、堅さまの感性が好きだと思った一作でした。



「Can I be your plus one ? 」も嫌いじゃないですけど。




堅さまは、お元気でしょうか?