ボストンを離れるまでの最後の1週間くらいは
怒涛の日々でした。
引っ越しに専念すればいいのに、昼間は
行きたいところに行き、買いたいものを買い、会いたい人に会い、
寸暇を惜しんで活動しておりました。
その振り返りをボチボチしていこうと思います。
まず、帰国1週間前に自宅で大転倒して、
腰と背中をしこたま打ってしまったことは、こちらに書きました。
http://ameblo.jp/minta-h/entry-12153983767.html
この惨事
が起きたのは金曜日の夜。
引っ越し準備しなきゃーな日々なのに、
まさかの動けない週末を過ごしたのでした。![]()
そして、明けた月曜日。
この日は、テニスクラブのヘッドコーチの計らいで、
私の送別テニス大会を、
テニスクラブのインドア3コートを
貸切って催してくれるとい計画が・・・
この日のために、皆さんが1か月以上前から
予定を合わせてくれていました
私は腰が痛くてテニスどころではありません・・
でも、まさにこの日は
「這ってでもテニスに行かねば・・・」な日でした。
そして、ダブルスなら何とかなるか・・とゲームもしました。
が、なんともなりませんでした!
まったく走れません。動けません。
ちょっと動くと腰に激痛が・・・
それでもなんとなく、
自分の2-3歩の範囲内のボールにだけは何とか反応して、
2時間テニスをやりきりました。
今後2-3週間、テニスできなくてもいいや、、、という気持ちでした。
なんと、みんなは、私がけがをしていることには気づきませんでした。
ミックスダブルスや男子対女子などを
ローテーションしながら7試合(1試合4ゲーだけの親睦)やり、
私は1勝6敗。
いいんです、いろんな人とテニスすることが目的でしたから。
で、この親睦テニスが終わり、皆なで記念撮影
そして、ロビーに戻ると、このブログでお馴染みの
大富豪Yが、冷蔵庫からケーキを持ってきてくれました。
Minta, we will miss you!! のメッセージ付きの
テニスコートの形の特大ケーキです。
ケーキカットをさせていただき、皆で頂きました。
アメリカっぽい、砂糖の塊なケーキだったけれど、
皆の気持ちがとても嬉しかった。
そのあと、、、、もちろん、英語スピーチです。
「まずはこのクラブを紹介してくれた、
ハーバードにあるテニスショップに感謝します。
そして、毎日私をクラブに運んでくれたMBTA(交通機関)に
感謝します。
私はボストンに住んでいるけれど、
毎日この郊外のテニスクラブに通ったから、
ボストン市内のことをほとんど知りません。
有名なダックボートツアー
(水陸両用の車でボストン市内を観光する人気ツアー)にも
参加したことありません。ダックボートは乗ってみたかった。
ボストンからこのクラブまでチャールズリバーを経由して、
ダックボートで来れるようにしてくれたら
このクラブはもっと新規会員が増えるんじゃないかと思います。
このクラブに入って、皆と知り合えて、女子チームでプレーして、
本当に私のボストンでの日々はとてもブライトなものになりました。
ありがとう。
なんちゃらかんちゃら、まだまだ続く・・・・・」
もっと感極まってしまうかなー、と思ったけれど、
冷静にスピーチできました。
きっとみんなは私の涙を期待してたかな、ごめんね、
英語で喋るというプレッシャーの方が強くて、
脳みそはエモーショナルになる余裕がありませんでしたよ。
4年間本当にありがとう。
まるでお仕事のように、毎日毎日ここに通いました。
テニスも英語も、
そして、アメリカ社会の何たるか、の入り口くらいも、
ここで勉強しました。
何せ、テニスする時間以上におしゃべりしてましたからね![]()
また来る機会があるとよいな、
再会を約束して、クラブ最終日を終えました・・・・


