中世の遺物
| オプショナル・ツアーの自由時間の後,バスに乗りに行く途中で, |
| あの通りで見たもののことが気になりました。 |
| ガイドさんの説明は詳しく丁寧だったのですが, |
| 私はいつものごとく真剣には聞いていませんでした。 |
| ただ,耳に残ったのは, |
| 「3人の司教が火あぶりの刑にあった,その処刑台跡」だということでした。 |
| なんで3人の司教が火あぶりになったのかを聞いていませんでした。 |
| ↑上の窓のすぐ下に, |
| ↓このような処刑台の跡があったのです。 |
16世紀のヘンリー8世の時代に英国国教会が登場し,カトリックは次第に弾圧されていきました。
ヘンリー8世の息子エドワード6世は,プロテスタント的な信仰の確立をめざしました。
エドワード6世の死後,ヘンリー8世の娘・メアリー1世は,再び英国をカトリックに戻そうとし,これに反する者への徹底的な弾圧や処刑すら許さなかったため,「ブラッディ・メアリー(血染めのメアリー)」と呼ばれました。メアリー1世は,プロテスタントを約300人も処刑したそうです。
1555年,女王メアリーによって,新教徒のクランマー大主教,リドリー主教,ラティマー主教の3人は,異端教徒の容疑でセントメアリ教会で裁判にかけられ,火あぶりの刑に処せられました。
| その処刑台跡が,現在も道路に残っているのです。 |
| クランマー大主教,ラティマー主教,リドリー主教の殉教地跡に, |
| ↓殉教者祈念碑が建てられた,ということも言われているようですが, |
| 近くの道路に残っている処刑台の方が正しいように思いました。 |
| ネットで調べても, |
| 誰も↑こんな写真をアップしていないのですが, |
| たぶん正しいのではないかと思います。(*^_^*) |