五重塔と東金堂

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五重塔の前で,鹿がひなたぼっこをしていました。
3月は,角を切ったばかりで,角がないですね。
前日の夕方ここを通ったときはほとんど人がいなかったのに,
このときは,日曜日のお昼頃。
たくさんの観光客がいました。
五重塔の下で,塔を見上げて写真を写しました。
東金堂の横に「国宝館」があって,
たくさんの仏像などが展示されているのは分かっていたけど,
これから東大寺に行こうと思っていたので,
国宝館はスルーすることにしました。
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 興福寺:
 奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である。古代から中世にかけて強大な勢力を誇り、鎌倉・室町両幕府は大和国に守護を置くことができなかった。 

 廃仏毀釈による破壊 
 明治元年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は直接打撃をこうむった。子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった。それにさきがけ、興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は奈良華族として還俗させられていた。
 行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。 しかし、興福寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態、「信仰の動線」が欠落していると称される状態は、このとき残された傷跡である。
                                   <Wikipediaより>

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興福寺は,奈良公園と一体化し,
山門も塀もないので,おかしいなと思っていたら,
廃仏毀釈のせいだったんですね。
拝観料が要らないわけが分かりました。
それなら,塀や門を造ったらいいのに・・・と思うのですが。

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前日の夕方に通ったときの写真をもう一度アップしておきます。(*^_^*)