まず、今まで私と家族を見守っていてくださった方達に 感謝と敬意をm(_ _)m

読んでくださる方達へも、スピリチュアル全く関係なく、日常を過ごしていた自分に訪れた出来事を書くことで 皆様の日常にもホッとひと息出来たら嬉しいです。

23年あまりの歳月に、ぽつぽつ想いだし出来るだけわかりやすく 何回かに渡って書いていきます


プロフィールにあったように、自分が末期ガンと告知される1年前から、  育児と妹のガンのサポートしながらも若かったので  友達と会ったり箱根まで車とばして妹と星を観にいったり、ガンコンベンションに参加したり、何故か??( ˙꒳​˙ )???物理学の博士の講演会に行って、すべて原子レベルで繋がっているという話しを聞いたりが始まっていました。

そして、絵をどこかのサロンに友達と観に行けば
現在に至るここまで導いてくださったヒーラーの方に名刺頂くことに、、、、
友達になぜ?ミカだけなの?と言われました

その方がある日自分のしていることを知らせる為に誘ってくださったことから繋がりました。


そして、ある日子供連れで逗子の森戸海岸に海水浴に行けば、その当時の逗子のオシャレな海の家?(笑)のオーナーグループの方達にナンパされてその中に話もしないのに「ガン治せるんだよね~」と言った気功師の方が、、、、

真に受けず、家に戻り抗がん剤の後の腹水がたまっている最後の時間を過ごしていた妹に話しをすると会ってみたいと言われ、そこからも始まりました。

電車に乗っていた時、前に座っていた年配の女性の方にいきなり、「お役にたつ時があると思うので差し上げたい」とルルドのお水を頂いたり、、、、


妹も病院へは定期的に検診に行きながらも気功師の方の施術で、腹水が無くなりほんの少しの時間でしたが外にアルバイトに行かれる時もありました。
ただ、波動治療において、抗がん剤、放射線、ステロイド、などは気の道をふさいでしまうようでなかなかそこに気が通らず苦心していました。
気功施術中に、抗がん剤の入れた気道に気を入れようとされて自分の波動が跳ね返って、
気功師の方の前歯が2本折れてしまったこともありました。
それでなのか?はわかりません。
妹はある日突然、高熱が出て、片方の腕がパンパンに膨れてお家でじっとの療養生活をする事になります。
もちろん、
サメの軟骨、ビタミンC療法、尿療法、ニンジンジュース、コーヒ浣腸、ゲルソン療法、ガンコントロール協会で、効果がありそうなものがみつかったと聞くと高価なサプリメントも 沢山、チャレンジはしていました。



( °_° )そして、その日は突然、やってきました。

自分も盲腸だ!と右腹が張るので病院へ行った時です。
たまたま、大きな総合病院だったのですが エコーを診ていたお医者様が、他に連絡取り始めてバタバタ、バタバタ、   なに???、、、、

盲腸を診ていたはずがエコーでもはっきり
わかるほど、小腸がグチャグチャに形が崩れていて、 肝臓にいっぱい白い、、、、??いっぱい過ぎて      え???、、、、

当時、肝臓は3分の1でも良好な場所が残っていれば手術出来ると言われてましたが  すでに不可能ということでした。
他に原発があってそこからすでに転移している状態ではないかと診断され、
細胞診の検査をして悪性腫瘍だとわかった時点で、自分の身体の痛みに気がつきました。
それまで末期なのに痛みを感じていなかったのです。もちろん、肌は茶色くやせ細ってました。
そんな自分に気づいていなかったのです。
病院で1人で自分の身体にごめんなさい(;_;)と泣きとおしました。

さらに
原発を探すための手術の検査入院と突然言われました。
「大腸かと思ったが、綺麗に治ってる、 あとは膵臓だと思う」との事でした。

「メスを入れて、なお手遅れではあるので効果が出るかはわからないが、直接抗がん剤を身体に入れられる管を通す手術も一緒にするつもり」の検査入院とのこで、そこで病気の妹、母、私と告知説明を聞くことになりました。

その辺りから、「わたし、そうくるんだ。子供と妹が待ってるんだから冗談じゃない。なんなの?」と自分の人生にパニックになったと今は理解しています。

そこから、気功師の方、ヒーラーの方に自分の今を知らせることになります。
メスを入れることはしないで、末期ガンと正式にわかったならそのまま病院を出てください。
自分達がフォローしますm(_ _)mと言ってくださり  そこから不思議な旅が始まりました。

長いのでまた書きます〜(●´ω`●)