旧タイトル「とある支援員の徒然なるままに」を改め、「福祉系 新米管理者の徒然なるままに」に変更しました。


この春から管理者になりました。
サービス対象者は、障害のある子どもたちです。



このブログは、戸惑いながらも挑戦している私自身の成長記録でもあります。

以前のように疑問に感じることもありますが、今は疑問を他のスタッフと共有しあい、案を出して疑問を解消できるように取り組んでいます。


その意味では、精神的苦痛はずいぶん減ったかな。笑

私の経験から伝えられることは伝えながら、スタッフさんには現場で感じることや考えることを大切にしてもらいながら、経験を積んでもらえたらいいなと思っています。


利用者の子どもたちから学ぶことが多いので、子どももスタッフも共に成長し合えるような環境を作りたいな。



のんびりと綴って参ります。
ある学生が見学に来て、違和感をもったと話してくれた。


ある職員の対応を見ていて、感じたらしい。


その学生には「私は障がいのある子どもをこんなに理解して関わっているんだ」というアピールに思えたと言っていた。

「障がいのことは分からないけど、他の子どもと何が違うんだろうと思った」って。


この視点は、凄く大切やと思う。
私も気を付けていることやけど、「障がい児」の前に単なる「子ども」なんよね。


もちろん障がいがあるゆえの、特性を知っておくのはとても必要。
無知ほど怖いものはない。


でも、必要以上に「障がい」を強調しなくてもいいと思ってる。



特にここは通常に発達している子どもも来ているからこそ、障がいがあるからと言って特別扱いはしたくないと思っている。

配慮と特別扱いは違う。


子どもが子どもで居られる場所を提供出来るように、と思う。


子ども同士はとってもシビアだ。
言うことも、態度も。

見た目に分かる"障がい者"なら、子どもたちも配慮している。
というより、ある程度の距離を保っているようにも思う。

一方で、見た目に分かりにくい自閉症や発達障がいや知的障がいなどの子どもには容赦ない。
同じようになぜ出来ないのか、理解しているようで理解し合えなくて、衝突していることもある。


個人的には、お互いに遊んで、上手くいかなくてぶつかって、その人に対して深まる理解があると思うから、見守りの大切さもあると思う。

いつもいつも大人が仲裁していては、自分たちで何とかしようという気持ちは起こらないとも思う。



しょうがいって何やろ?

しょうがいって、個性?

じゃあ、「しょうがい」がない私たちは、個性がない???


個性じゃないとしたら、しょうがいって何?




私は、障がいは生きにくさ、何かをするときのやりづらさじゃないかと思う。


例えば私は、視力が低い。
視力を矯正するメガネやコンタクトがないと車の運転もままならない。

災害が起こったら、まずはメガネ探さなきゃ見えない。


これは、ひとつの障がいだと思う。
ある意味不便だから。


障がいというのは、こんな風なものなのじゃないかな。

もしかしたら、何かツールがあればカバー出来るのかもしれないし、何か環境を整えたら、楽に動けるようになるのかもしれない。


そんな風に、ハードルをクリアしていって、過ごしやすくするのは大切やと思う。



もし、環境を整えたら動けるようになるのなら、その人にとっての障がいは「環境」だったということ。


色んな視点から、角度から、見ていけるようになりたい。
その人にとっての障がいは何か。
生きにくさ、やりづらさは何か。


冷静に見ていけるようになろう。

職場の玄関に入ろうとした夕方。

門のところに男の子が立ってたから何やろうと思って近づいた。


顔を見てびっくり。

数ヵ月でおうちの都合で辞めていった男の子だった。

私が職場の車を運転していたのが見えて、クラブ帰りに自転車で追いかけて来てくれたと言う。

自宅とは反対方向にも関わらず。



「久しぶりやな!元気やった?」
「うん、まぁまぁ元気やで。車運転してるのが見えたから追いかけて来たんや」
「そうなんや。よく気が付いたなー。追いかけて来てくれてありがとう」
「俺なぁ、minshiaさんに会いたかったんやで!」
「嬉しいな。私も会いたかったんや。どうしてるかなって気になってたんやで。野球、頑張ってる?」
「うん。でも俺、もう1年もやってるのに上手に出来んのや。だからさっきまで自主練してたんや」
「自主練してたん?!遅くまで頑張ってたなー。こうやって上手になろうって自分で努力できるのは凄いことなんやで。練習はやったらやっただけコツも掴めてくるし、動けるようにもなるし。監督やコーチも頑張ってるの気が付いてくれるよ」
「そうかなぁ。まぁ、俺、野球好きやし、頑張るわ!」
「うん、頑張れ!応援してるで」
「じゃあ、また来るわ!」
「うん。気を付けて」


久しぶりで照れてるのか、あまり私と目を合わせないようにして、ちょっとそっぽ向いて話してた男の子。


可愛いなぁ。
追いかけて来てくれて嬉しかった。
元気な姿も見れたし。

少し見ない間にお兄さんになってた。
子どもの成長は早いな。



時々、運転中に見かけるけど、その度に手を振ってくれる。
私も手を振り返す。


いいな、どんな上級生になるんやろ。
どんな中学生になるんやろ。
すごく楽しみ。
ある子がいつものように話し始めた。


職員や他の子どもをからかうように、また、自分もからかってもらえるように。

私はその子からからかわれる立場でもあるし、逆にからかう立場でもある。
その子には言って欲しいセリフがあって、会話の流れがパターン化してる。


それを言い続けると、テンションが上がってきて、興奮してくる。

だから、タイミングを見て「声のボリュームを2にして」「今はそのお話が出来ないから後でね」なんて言うこともあった。



その子がその話をするのは特定の人が多い。
元々社交的なタイプではなくて、子ども同士よりもまだ大人との関係を求めている。



いつものようにパターンを楽しんでいたら
その子が突然言われたひとこと。


「し つ こ い で す よ 」




その子はちーーーーんと沈んで、しばらく膝を抱えてうずくまってた。
(落ち込んだときのスタイルはいつもこれ)



その職員には、その子はその話をほとんどしない。
それは、「その話聞きたくない」とか「ごめんね、興味がない」と言われるからかな。
話を振っても、あまり乗ってくれないのが分かっているからやと思う。


その職員にしたら、私たち他の職員が話に乗っているから良いだろうという気持ちがあるのだと思う。



でも、やっぱりあの一言は効果抜群だったみたい。
普段その人には話を振らないからこそ、その子には大きな一言だったんやろうな。



学校の先生も、「その話は聞きたくない」と言うときもあると話されていた。



大きくなったら、色んな人がいるからいつもいつも話を聞いてくれる人ばかりでないのは重々承知の上。


たぶん先生も、言った職員もそれを見越してそういう返しをしているんやろうと思う。




それでも、言い方ってあると思わん?

ストレートに言うばかりがいいとも限らへん。



同じ言い方で、他の大人に言える?
たぶん、言わないやろ。

「その話聞きたくない」
「し つ こ い で す よ」
って。


言う?



じゃあ、なぜ子どもには言えるんやろ?


自分よりも下やと思ってたり、教えてあげなきゃいけない対象やったりするからじゃないかな。



でも、それって傲りじゃないんかな。

子どもに教えてあげるよりも、教えて貰ってることもあるんじゃないかな?



私は子どもに関わるひとりの大人として、あれ?と思うときにはもちろん言うけど、教えてあげるというスタンスでいることは少ないと思う。



私は子どもたちよりも生きてきた年数程度に、ただ少し経験があるだけ。

私の経験上での気付きやポイントを伝えてるだけ。


それがヒントになって、子どもたち自身が考えて行動できるきっかけになったらいいなと思ってる。


人として対等に。
お互いに教え合う存在として居られたらいいな。
最近、スムーズにスケジュールに沿えない子がいる。

帰ってきたら、うがい・手洗いをして、みんなでおやつを食べて、宿題をして…というスケジュール。

日によっても違うけど、大きな声を出して、一連の流れに沿うことを身体中で拒否している。


ここに来るまで、その子が色々と我慢していることは他の職員も知っている。


でも、みんなのようにスケジュールに沿えない時がある。。。



スケジュールはスケジュールで必要なんやけど、必ずしもみんなのペースに合わせなあかんのかな?

何か納得できんことや、やりたいことがあるから拒否してるんちゃうん?

そこが本人の中で納得できてないから、次に進むのを拒否してたり、次に進めんのちゃうん?

その気持ちを無視してまで、その流れは「みんなと」せなあかんの??




色々と疑問がわいてくる。



大声を出して大泣きして拒否してる姿は、他の子どもにも影響がある。


元々大きな声が苦手な子や、泣き声が苦手な子。
泣いてるのが気になって、手が止まる子。
泣いてるのを楽しんで笑って見ている子。



その子はスケジュールがあるのは理解しているし、でも、スムーズに向かえん気持ちの葛藤がある。


スムーズに向かえん原因はなに?


そこを探っていくのは大事やと思う。
きっと、その葛藤ポイントは毎回違うはず。



スケジュールに沿うことは集団行動をする上で大事なこと。


だけど、「何か」があって向かえないなら、それを解決させて、納得できてからの方がきっとスムーズに進める。


気持ちに丁寧に寄り添っていくと、「したくないけど、やる」って自分の気持ちに納得できて折り合いが付けられるようになるんちゃうかな。




私が対応したときは、鞄を置いた後に絵本の確認してた。
(ほんとは絵本があるところには宿題が終わるまでは入ったらダメになってるんだけど、本人がどう動くか見てた)


借りた絵本がそこになくて騒ぎそうやったから、宿題まで終わってから探そうと声をかけたら、ほんとにスムーズに泣きもせずみんなと一緒に行動できた。


やっぱり何か気になってることがあるんだよなって確認できた。
今回は絵本やった。



強引にスケジュールに沿わせることでの弊害の方が多いわ 笑


暗黙の了解で絵本のところには入ったらダメだけど、私は必要な寄り道はアリやと思うな。



さ、次はどんな寄り道になるのかな。楽しみ!
ランチに牛丼を食べる日。

支援学校には食べ物を持ち込めないため、給食のない日は外食することが多い。


子どもたちは牛丼。


「じゃあ、職員は何にする?」

と、ある職員が聞いた。



???


牛丼じゃないの??


牛丼は牛丼でも、トッピングも含めて色んな種類がある。
そのどれにするかを聞いていたらしい。



ムズムズとわいてくる違和感。


子どもには牛丼以外の選択肢はないのに、職員にあるってどういうことなん?


職員の特権?
お金払うから好きなの食べたらいい?


何それ。
そんなん、子どもだって同じやん。


自分のより豪華だったり、自分のものと違う牛丼を見たりして、子どもたちは何を感じるんやろう?


見た目が違うのは、すぐに分かるやん。


職員だけズルいって思う?
それとも職員(大人)だから許されるって思う?
大人になったら、好きなもの選んで食べようって思う?



私は迷わず牛丼にした。

「子どもと同じもの注文します」


この一言で、右にならえのように職員みんな牛丼にした。



一緒に食べるなら(子どもがみんな同じものを食べるなら)、私も同じものを食べて、美味しいねって言い合いたいわ。

味が濃いから喉が渇くなぁって笑いながら水分たくさん取り合いたいわ。





同じ流れで、パンもあった。

子どもにはクリームパン、ウィンナーロール等好みそうなものをこちらが数種類選んで、子どもにいくつか選んでもらって頼めばいい。

で、私たちは何を頼む?


みたいな。


これも意味が分からんかったから、私は食パン等を除いて、全種類を一覧にして、好きなものを選んで注文してもらうように保護者に配布した。


そしたら、違和感なく私も好きなパンが食べられるから。


ウィンナーロールはそこまで好きじゃないし 笑

しかも、こっちで選択したパンが食べられない子もいるかもしれん(味や食感など敏感なタイプ)。


たった数種類の中から子どもに選んでもらって「選択」しました、なんて言える?


アホかもしれんけど、例えば町中のスーパーから好きなものをどうぞ選んで、なんて言えてこそ「選択」なんちゃうかと思う。
ほんま、アホな例えやけど 笑



あれこれ迷っても、選択肢は多い方がいいと思う。
選択できる力はとっても大切。
もちろん、家族と話し合って決めてもいいし。



何を選んだの?
それ、何が入ってるの?


なんて、私がパンを頬張ってるときに子どもたちからも聞かれながら、美味しいなって食べられたら嬉しいわ。
バスが大好きな子どもがいる。

バスの運転手さんに憧れて、運転手さんのマネをしたり、様子を教えてくれたり、運転したい路線を言ってくる。


その子の話は一方通行が多い。
毎回同じ事を話してきた。

だから、私はバスの路線について質問してみたり、どのバスに乗ったことがあるか、なんて色々話してた。


学校では「先生はその話を聞きたくない」と言っている時もあるらしい。
他の同僚もそうやって断ってるのを何度も聞いた。


それでええんかな?
もちろんその話に興味がない人もいるだろうから、断るのもひとつやと思うし、今後そういう人との関わりもあるんやろうけど、個人的に何かもやもやするんだよな。。。


その子はバスが好き。
恐らく興味やこだわりの対象は変わっていくけど、今はバスが好き。

そのバスを取っ掛かりにして人と会話をしようとしてるんやで?
職員ひとりひとりにはその子なりの割り振りで、各バス路線の番号が振られてる。

何番の○○さん

みたいに。


その子なりに、自分の興味のあるものを繋げて人と関わろうとしてるのに、これは社会性の広がりとは取らないの?

「興味がない、聞きたくない」
と言うのは容易いこと。言い方は色々あるにせよ。

でも、そこからその子が何を広げる?
大人が閉ざして何が広げられる?


私、正直バスにそんなに興味ないけどね、あまり利用しないし、でも、その子とのバスの会話を楽しみたいなぁ。


私の関わりは「自分の興味のあるものを他人は興味がないことがある」というひとつの学びをしてもらえないことになるんかな。

どういう対応がいいのかは、私自身まだ結論が出せてない。



でも、「聞きたくない」を聞くたびにもやもや 笑
このエピソードは、ここの学童が始まってまだ2~3ヵ月たった頃の話。

ある日、地域の学校に通う子どもと話をしていた。

学校で地震などの災害の話になったらしく、その延長で話を振ってきた。


「もし地震が来たり、隕石が落ちてきて地球が滅びたら、自分の家族と友だちと友だちの家族と、学童のみんなとみんなの家族と、職員さんと職員さんの家族は生き残ってほしいな」


私はこれを聞いたときに、思わず顔が綻んだんや。
可愛いな、嬉しいなって。


笑いながら私は「じゃあ、私の友だちや友だちの家族は?」と言うと、「その全員も助かってほしい」ってその子が言った。

「私の友だちの友だちは?その家族は?」と私。(しつこい 笑)

ちょっと考えてから「うーん、もうみーーーんな助かってほしい!」と子ども。

私はその仕草が可愛くて笑いながら言った。
「みんな誰かの大切な人やと思うから、私はみんな助かったら嬉しいって思うわ」


なかなか突拍子もない話やけど、可愛いかったなー。


たった数ヵ月で自分の所属している集団に愛着が持てて、緊急時には自分の家族と同等のように大切に思える気持ちが育っていること。

これはきっと、この子が元々人が好きで、人との良好な関係を築けて、その人たちを大切に思える気持ちや、社会力の基盤となっていくものやろうなと思って、嬉しかった。

やっぱり身近な人から大切に思えるって、大事なことやと思う。


この子は同級生3人組のひとりで、色々と揉めてたんや。
難しいやん、3人組って。

ひとりが誰かを独り占めしたら、たちまち関係が崩れてしまう。
いつもトラブルが絶えなかったんよね。


だからこそ、結局はどのメンバーのことも大事に思ってくれているのが分かって、嬉しかったのもある。

尚且つ、数ヵ月でそう思える人がいる場所を提供できていることが嬉しかったんや。




でも、ある人は違ったんよね。


それを話したときに一言、「世界が狭い!」と言い放ったんや。




確かに身近な人の家族にまでしか想像が及ばへんのは狭いんかもしれんわ。
その先は想像できんとか、関係ないということかもしれへんから。

でも、家族や友だち以外でも大切に思える人ができたことは喜びたいって思えるんやけどな。


学校以外での世界が少しずつ広がっているんやで。
中学生になって、高校生になって、どんどん出会う人が増えて、世界が広がって、大切な人が増えていくはず。

その広がりを応援したいわ。


狭くて当たり前。
まだ10年程しかこの世で過ごしてないんやもんね。
まだまだこれからやん。


少なくとも私は、その子の色々を応援したいな。
元利用者が旅立った。

最後に会ったのはいつやったかな。


記憶の中の元利用者は、前歯のない口を開けてニヤリと笑ってイタズラするんよね。

集中力があって、細かい作業もお手の物。
疲れて体調壊すんじゃないかとこっちがヒヤヒヤするくらい、根気強い。

食べ物にはさほど興味なくて、何でも人に分けてあげるんよね。
自分の分がなくなっても、ニカッと笑って、人が受け取ってくれたことに喜んでたのが印象的やったな。



急やな。急すぎる。



こんなことでもないと思い出さへん私も酷いな。
いつでも行けば会えるって思ってたわ。
あのニカニカした顔で、前みたいに叩こうとしたり、冗談で噛みつこうとしたり。

薄情すぎたな。
ごめん。


あなたに教えて貰ったことは山ほどあるのに、私は何か返せたんかな。
なにか貢献できたんかな。



記憶の中のあなたが思い返されて、後悔も混じって、涙が止まらへんわ。




明日は私にとって、久しぶりの同窓会みたいやな。
懐かしい顔がたくさん見られるわ。



やっぱり私の原点は、今の私があるのは、今の仕事で役立っているのは、あなたたちの存在が大きい。
間違いなくあなたたちのお陰なんや。
人としての根本的なことを学ばせて貰ったのは、あなたたちからなんや。

人への関わり方を教えてくれて、経験させてくれて、私を成長させてくれたのは、あなたたちなんや。


感謝してもしきれへんわ。


貢献する前に、飛び出してごめん。





ありがとう。
ゆっくり休んでな。
ほんまにありがとう。
少し新入社員さんたちと話をする機会があった。


子どもたちとマンツーマンで数時間すごしてもらった後に、15分くらいのミーティング。


子どもたちと触れあっての感想を聞いてから、私の経験上で感じたことを少し話した。

新入社員さんたちは、高齢者に関わることになるから、子どもたちとの触れ合いはほんとは必要ない。

子どもが苦手な人も居たし。



子ども、障害のある人、高齢者、専門分野は違うけど、人としての関わり方は同じやと思うよって話始めた。


私は、パーソナルスペースと心の距離はほぼ同じだと経験上で思う。

「信頼関係が大事」と言葉では言うけれど、信頼関係を築く第一歩に、まずは同じ空間に居てもお互いに違和感のないくらいになるまで馴染むことが大切やと感じていることを伝えた。

そこからお互いにとっての心地よい距離を保ち続けること。

その距離感もいつもいつも同じじゃない。
体調や気持ちの面で日によって、時間によって全然違う。

だから、五感をフルに使って今の相手の状態を見るのは大事やと思ってる。



そして相手に伝わる、理解してもらえる言葉を使うこと。
言葉ひとつ、態度ひとつで築いてきた信頼関係は一瞬で崩れるから、相手の様子を見ながら、常に心を配ること。

相手が使ってる言葉の+αで話すといいんじゃないかなと思う。

言葉のニュアンスは人それぞれ違うからこそ、相手がどんな言葉をどういう意味で使っているかを観察するのは有効やと思う。

もし使う言葉の意味が大きく違うなら、補足しながら相手が理解できるまで時間をかけて話すといいかも。




あとは定番やけど、相手の話を良く聴くこと。相手が使う言葉や話す内容で、相手が大切にしているものや考え方、過ごしてきた時間、思い出、価値観など、その人のことが分かるから、それらを含めて大切にしながら関われるといいなと思う。

その人のこだわりも、話すことで理解出来ることもあるし。



試行錯誤しながら関わってみて、後で振り返って反省したり分析したりしながら、経験を客観的にみて蓄積していくことで、だんだん場の状況が掴めるようになってくると思う。

理想は、部屋に入って、瞬時に状況が把握できることかな。なかなかそこまでは難しいけど。



接し方は、相手のことを想像しながら、良心のままに関わることかな。

頑固だとか難しい人だとかそんな風に相手を見て関わると、ほんとうにそのように相手の振る舞いが変わってくるから、人を決めつけないことやな。

人には色んな面があることを知ることも大切。色んな面を見せてくれるまで、丁寧に関わり続けることが大事やな。



あとは、上司の顔色を伺って仕事をするのではなくて、利用者さんと自分、またはチームで、利用者さん自体を見て支援することが大事やと思う。

たまにいるんよ。
自分の評価ばかり気にして、上司の顔色を伺いながら仕事する人。

支援や介護の方向性や関わり方は基本的に統一しないと利用者さんが混乱するけど、逆にそこがぶれてなければあとは個々の職員次第やと思う。
どうやって距離を詰めていくか、関係を良好にするかはそれぞれ。



何を置いてもこれは大事。
ストレスマネジメントをすることの大切さやな。

何が自分のストレスになるのか、どうすればストレスを発散できるのか、ストレス発散出来ないときはどうするのか等を知ることで、自身を振り返られる。
まずは自分の心身ともに健康でないと人の支援は表面的なものになるし。

そもそも、自分のプライベートや生活がちゃんと回ってないと人の支援なんて出来んし!笑


などなど。


少しでも届いているといいな。



そのあとも子どもたちと遊んでもらって、笑顔で帰ってもらえたんじゃないかな。


緊張する春、新しい春が始まったけど、みんなにとって輝かしい春になりますように。