みんサルの旅 -5ページ目

みんサルの旅

旅をしなくても、旅してるように生きる。。

何だか、
わからないことがどんどん多くなっていく。

正しくは、わからなくなることが増える。
以前は一瞬でわかったことが不思議なぐらい、
ポツンとする。

ほとんどは理屈で割り切れないこと。
これでいいのかとおもい、
これしかできないんだな、とも考える。

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お涙頂戴は好きじゃないし、
黙ってるのも深遠すぎる。

勝てない戦いは嫌いじゃない。
戦争は大っ嫌いで、戦うことは大好きだ。

セブンイレブンのチョコアイスが70円値上げしたこと、
舐めたことをされると払い戻そうと思うこと、
必死に食らいつくこと、
自分のチカラのなさを思い笑うこと。

全て、この一瞬一瞬に怒ってることが嘘のよう。

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若い頃は誰しも才能がわかりやすく輝く。
素敵だ。

運動神経、
センス、
頭のキレ、、

きっと、自分にあった才能が失われること、
自分がいちばんわかっている。

そこじゃない基準がいいなあ。
では。


よくわからないけど、
議員だといいのかな。

刑法にひっかからないのかもしれないけど、
科学者や議員、音楽家や教師の、共通して誠実さに欠ける行為、
不思議だなあ。

ちやほやされてきた、とか、
状況に困ったとか、
きっと色々な事情があるのだろう。

科学者なら、科学に対してリスペクトしたらできないこと、
議員だったら、政治をリスペクトしたらできないこと、
音楽家だったら、音楽をリスペクトしたらできないこと、
教育家だったら、教育をリスペクトしたらできないこと、
がよく行われている。

そのうち僕もそうなるのだろうか。
何をリスペクトすべきなのだろうか。

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結果はでなくても、
よくやったから、
あんなに頑張ってるからいいよね、
という視点。

サッカーをリスペクトするなら、
サッカーがよくなければ、
頑張ってるからという配慮よりは、
サッカーがきちんとしてない、と言うことが先決だ。

なぜならサッカーが好きだから。

音楽であれば、
音楽がよくなければ、
頑張ってるよ、という配慮よりは、
ここがだめだった、こうしたらよくなる、
ということは、
本当に音楽がよくなるために最優先される。

がんばってるからいいよ、というのは、
音楽に対して、素晴らしい音楽という文化全体に対して失礼にあたる。

なぜなら音楽が好きだから。

好きだから、本当を知りたい。
すきだから、本当に素晴らしい音楽が好きで、
好きだから、本当に素敵なスポーツが好きだ。

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近年、スポーツに関する記事は、
あまりに叙情的。
演歌のごとく、詩的すぎて伝わらない。

あたかもいい文章にすることが先のよう。
すべての行動は、勝利しようが、たとえ負けようが、
昼メロのように美化されて、
結局のところ価値が下がっているように見える。

銀河鉄道999に出てくる、寓話のようで、
少し怖い。

本当がなくっても、
がんばったことがあればいい、というのは、
余裕があって、
豊かという証左かもしれないなあ。

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いざ、負けたときに、
なんというのかな、逃げるシーンを多くみかけるようになった。
不思議だな。

嘘をついて、嘘の理由を言える議員然り、
嘘をついて、嘘の理由を言える科学者然り、
嘘をついて、嘘の理由を言える音楽家然り、
それに、状況がまずいのに、切り替えるとか、大丈夫、とか、
前向きな言葉でごまかすスポーツ選手然り。

他人に「嘘」をついていると自分でわかっていると、
嘘でごまかせない真実があらわになったとき、
ありえないほど気持ちが悪くなるだろうなあ。逃げたくなるほどに。

逆に、本気で、心から信じて、それをやっていれば、
結果が出ようが、出なくたって、堂々と言える。

では。


サッカーをリスペクトすること。

素晴らしい相手と闘うチャンスを得るため、
素晴らしい相手に勝つ、素晴らしいサッカーをするため。

すべては、素敵な相手に素晴らしいサッカーをするには
どうしたらいいのか、を常に考え、最優先することだ。

例えば、ミスをした選手がいるなら、
きちんと指摘することは、サッカーに対する礼儀であり。

個人攻撃とか戦犯探しとか、辛口とか、それは全然違って、
間違いをきちんと指摘して、間違ってるよ、と伝えることで、
強くなるし、謙虚になる。

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サッカーに対して謙虚であること。
世界は広く、サッカーは可能性に満ちている。

いろいろなプレーがあって、独特な技があって、
知れば知るほど、アイディアや工夫がたくさん。

#今大会、不調なチームは、
#ちょっとプレーの選択肢が定型的かな、アイディアに欠けるかな、
#とも少し思いますが、まだ差異を見出すことができない。


サッカーはひとりではできない。
味方がいるのはもちろん、素晴らしい敵がいなきゃいいプレーもできない。

そして、プロであれば、
関係者やサポーター、メディアの方々、
みなさまのおかげで成り立っている。

そしてお互いが未熟な部分があり、
お互いにチェックして、切磋琢磨しながらお互いが育っていく。

もっとも欠けている部分であり、
もっとも大事なところかな。

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不思議な感じ。

意気消沈し、
勘弁して下さい、にものすごい違和感を感じました。

厳しいことばですが、
申し訳ない、とか、謝るぐらいなら最初からやるな、
という感覚です。
批判を受け止める、というのもすごく変な感じ。

なんというか、
倒産した社長たちの会見と同じことばを使ってる。
(謝ることができる問題と思っていて、そして会見から逃げる姿勢。)

先日の科学界の問題でも同じような感じで、
場に出てきて自分の思い描いた展開どころか、とんでもない事態になって、
体調不良になるほど真っ青になる。

後ろ指をさされることをした自覚があるとき、気分が悪くなる。

非常に不思議。
僕の考えは不思議なことに全く逆。
井の中の蛙であることが目に見えてわかったこの状況こそ、
上を向く、チャンスかなと。

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言うなら、いまがチャンスですが、、、
この4年間の日本代表のサッカーはたいてい酷かった。

そう見えていないひともいるかもしれないと思うことはしばしば。
そりゃ、いいときもあったり、
わるいときもあるけど、それとは別次元なレベル。

ブラジルやドイツ、アルゼンチン、など、
強豪相手に通用するサッカーかと考えると、4年間通じて、ずっと厳しかった。
4年どころか、、、ドイツのコンフェデ杯だったかな、それ以来、ずっと厳しい。

サッカーへのリスペクトを欠いた報道、
同じくサッカーへのリスペクトを欠いたまま応援するファンの声援、
サッカーへの謙虚さを欠いた選手。

大丈夫、行けるでしょう、サッカーはこれでOK、と言ってたのを忘れたように、
手のひらを返したように、いま、みなが代表はちょっと力不足ね、と
テレビや雑誌で言ってるのが不思議。

すべては、サッカーをリスペクトし、
素晴らしい相手に素晴らしいサッカーで勝つために。
いいプレーに拍手を送り、悪いプレーは悪いと指摘する。

まずそれがあって、チームや選手を応援し、テレビや報道を考える。
時代をつくるまでは想像できないけど、
そういう環境を自分の届く範囲、自分の手でつくろう。

希望は、柿谷選手。
最後の強引さは、U-19時代の感じた、
あの20年に一人逸材、その輝きの片鱗が少し垣間見えたようなきがした。

では。



メディアに依存するかもしれない、
サッカー文化。

シンガポールで、
シーズンが終わってるのに毎晩ブンデスリーガ。
そして、EPL。
といえば、プレミアリーグ。

タイで、EPLが多かったような。
マレーサッカー、MLS、よく放送される。

欧州でも、南米でも、アジアでも、
さまざまなプレーを見る。
長くサッカーに触れることができる。

日本の、サッカーメディア文化をみると、
テレビはまだまだ、雑誌はまだまだ。
あ、ゲームは凄い。
4年経っても、8年経っても、12年経っても、16年経っても、
まだまだ各国に追いついていないな、
ワールドカップのたびにこれからだなと思います。

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建設業、介護業など人材不足は、
台湾やベトナム、マレーシアにタイ、中国、韓国、インド、、
アジア各国の人材が流れこんで、
日本に各国文化が増えるのは、とても楽しみ。

よりお互いを尊重し、
日本を称えるだけじゃなくて、
みんなを尊重することが楽しくなる。

ブラジルのストリートサッカーの文化が伝わって、
日本でも、道路で普通に蹴れたらいいな。
(道路は整備されてるけど、時間によっては使ってない道路たくさんある。)

では。
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毎日放送してて、
昨日は、過去のブンデスリーガを放送。

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ウォータータクシーは、
素敵なベイのそばに。

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小さなシェービングフォームを買ったけど、
ジェルのほうが多かった。

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Life goes on anywhere.
英語は気合いですよ!

と、NHKで言ってました。
では。