浪江町を訪問して① | 信州ぶらぶら日記

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(旧信州癒しの里 箕輪町ブログ)

今日は箕輪町役場庁舎では半旗を掲げ、発災時刻には町内一円サイレンを鳴らして黙とうを捧げ、あらためてお亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りしました。
 
さて昨日のブログの末尾に書きましたが、私は昨年6月に福島県浪江町を訪れました。
帰町してブログに書こうと思いましたが、色々な思いが巡り、どうしても書くことができませんでした。
 
しかし、8年目が近づくにつれ風化が問題という報道や案内していただいた方の「被災地を忘れないでほしい」という言葉を思い出し、見てきたもの、聞いてきたことを書き、少しでも現状を知っていただければと書きたいと思います。
 
常磐道を走っていくと、道路沿いやパーキングエリアには線量計が設置されていました。
 
浪江町に近づくにつれ荒廃する農地が目につきました。
 
また除染された土壌が色んな所に置かれていました。一時的な仮置き場ということです。
 
浪江インターで降り浪江町役場へ向かいました。
 
浪江町の被災前の人口は21,434人、世帯数は7,671世帯。
この2万人超の全町民が、福島第一原発の事故で避難することになりました。
箕輪町は2万5千人ですが、全町民避難などとても想像できません。
 
訪れた時にいただいた資料では、30年2月末で居住人口は516人、351世帯でしたが、ネットで調べたところ30年12月末には873人、574世帯と、着実に増加してきているようです。
 
浪江町には、町内に15ある区(自治会)の正副区長の皆さんと訪問しました。
毎年防災意識や知識を高めるため、研修施設などへ行ってもらっていますが、被災地の現状をということで計画しました。
福島県では様々な形でこうした視察などを受け入れてくださいます。
詳しくは→ こちら をご覧ください。
 
さて浪江町は、原発の影響や除染作業により他の被災地と違って、29年4月から本格的な復興が始まりました。
 
29年3月31日に避難指示が解除されたばかり。
現在も町の81%が帰還困難区域となっているとのことでした。
下の地図のピンク色の部分です。
その多くは山間部だそうですが、そのエリアにも17%の人口がありますが、今なお帰還できない状況とのことでした。
 
そしてその山間部の除染は、現在手が付けられないそうです。
飲料水は山間部から流れてくる水を利用しているそうですが、24時間監視していて放射能の影響は全くないそうです。
ですが、山の除染をすることでかえって水を汚染してしまう恐れがあるそうなのです。
きのこをはじめ山菜が豊かだったそうですが、山間部の解決には100年以上かかるかもしれないというお話しで、放射能への対応の難しさをあらためて感じたところでした。
 
浪江町の被害状況を。
震度6強の揺れと15メートルを超える津波に見舞われ、6平方キロメートルが浸水しました。
全壊家屋651戸でうち流失は586戸。約1000事業所が被災。
死者182人でうち行方不明者は31人。
長引く避難生活による震災関連死も481人。役場機能も1年半で4回も移転したそうです。
 
下の写真は震災前のものです。
手前側が請戸漁港ですが、ここがすべて津波に飲み込まれたそうです。
この後、現地を案内していただきました。  つづく