前方部より後円部。

王山古墳は墳丘全長75.6mを測る大型の前方後円墳で、6世紀初頭に造られたと考えられます。昭和47年~48年に墳丘全体が調査され、古墳の様子が明らかになりました。墳丘の築造方法としては、まず、盛土で二段な墳丘の形を作った後、その外側に砂や礫が混じった川原石を詰め、さらに外面に大ぶりな自然石の葺石で飾ります。死者を埋葬する主体部は横穴式石室で、後円部の基壇上につくります。石室の全長が16m以上と非常に細長く、玄室は赤く塗られていました。
出土品には円筒埴輪や大刀・盾といった器財埴輪のほか、矢を持ち歩くための容器である胡籙の出土が注目されます。
本古墳は横穴式石室という新しい埋葬方法を採用しており、東日本でも最も古いものの一つです。初期の横穴式石室を持つ群馬県内の古墳としては、前二子古墳(前橋市)簗瀬二子塚古墳(安中市)などがあります。横穴式石室は畿内のヤマト王権で取り入れられた新しい葬制で、これをいち早く取り入れた群馬県中西部の豪族たちは、中央と強いつながりを持っており、先進的な技術や文物を取り入れることができたと考えられます。
(東国の雄 総社古墳群より)


北西より後円部。


前方部より。


出土した大刀形埴輪と盾形埴輪。


後円部下段両サイドで葺石が見られます。ちょっと逆光でイマイチですが!(笑)





ちょっともう少し管理をキチンとしてもらいたいです。史跡公園化されてますが、草ぼうぼうで、後円部墳頂部に石室の場所を示す石列があるはずなのですが、草で確認出来ず・・・(苦笑)









2019.10.28