宝塔山古墳は墳丘全長66mの大型方墳で、7世紀半ばに造られたと考えられます。墳丘は三段築成で、斜面には葺石が葺かれていたと考えられます。石室は墳丘の基壇上に造られ、南側に向けて開口しています。石室は羨道・前室・玄室からなり、それぞれの入口には門柱状の施設が設けられています。
石室は、前代の愛宕山古墳までの自然石を積み上げる石室の作り方から、きれいに加工された切石を巧みに積み上げる「截石切組積」という手法が採用されています。
さらにその上に漆喰を厚く塗って石室全体を白く平らに仕上げています。玄室の中央には輝石安山岩製の刳抜式家形石棺が置かれています。愛宕山古墳の家形石棺同様非常に精巧な造りの石棺で、底面付近には装飾として格狭間が刳り込まれています。石室壁面の石材の精緻な加工と、これを積み上げる技術、漆喰の使用などは、畿内の有力者層の古墳に用いる技術そのままといえます。
また、石棺の脚部に彫り込まれた格狭間は、大阪府南河内郡太子町聖徳太子墓の棺台などにみられるものと同一のものと考えられ、古墳の埋葬施設に、新しい文化である仏教文化の影響が及んだ結果と言えるでしょう。
(東国の雄 総社古墳群より)






2019.10.4



久しぶりの再訪です。数えきれないほど来てますが、定期的に来たくなる古墳です。2012年にブログ記事上げていますが、内容が薄っぺらいので新たに記事を上げました。(笑)

宝塔山古墳の墳頂には総社藩主秋元氏歴代の墓所となっております。こたらも指定史跡となっております。


























追記
今年7月に7年乗ってきた車が臨終しました。この車は国産の軽自動車で東日本大震災の被災地より持って来た車でした。長年、アメリカ車やヨーロッパ車ばかり乗り継いで来てたのですが、この車を見た時に何故か気になって購入。初めての日本車でした。(苦笑)
それまでは軽自動車なんて馬鹿にしていたのですが、考えを改めさせてくれた車でしたね。(笑)
被災地で放置されてた車でしたのでお金もかかりましたが。現在、同じ車種の車を探しているのですが、すでに販売は終了しているので、なかなか良い状態の車がないのが実情。現在は電車、バスを駆使して移動しております。