玉村町に古墳が出現したのは古墳時代前期で、今から1600年以上昔です。軍配山古墳や三角縁神獣鏡が出土した稲荷山古墳などがその頃に造られたと考えられています。その後も古墳の造営は続き、6世紀になってから、急激にその数を増やしていきました。
昭和10年の県下一斉の古墳調査によれば、玉村町には53基が上毛古墳綜覧に記載され、その後、新たに発見された古墳を含めると、現在では約150基を超えると考えられています。しかしながら、昭和30年以降の土地改良などにより、今ではその姿はほとんど地上から失われてしまいました。
この移築された石室は、農業構造改善にともなう土地基盤整備事業により本来は調査後に削平される予定のものを移築したものです。比較的遺存状態が良好で、この地域における後期の石室の特徴を多く残していることから、移築復原をすることになりました。
石室には、6世紀中頃に噴火した榛名山二ツ岳から産出した軽石(角閃石安山岩)が、用いられ、3面ないし5面を削り交互に積んでいく互目積みを採用しています。また、四隅には1石をL字状に整形し、組み込むなど、高度な技術も使われています。
(現地説明板より)




2019.9.23