エドヒガンザクラ
鉢形城は、深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪、本曲輪、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。搦手、本丸、二の丸、三の丸および諏訪曲輪には塹壕をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。
初めて鉢形城を築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となった。その後、下野国遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。
外曲輪。
御殿曲輪土塁。
馬出。
馬出脇の堀。
二の曲輪 堀と土塁。
二の曲輪 堀。奥に畝がある。
三の曲輪 復元四脚門。
三の曲輪 石積土塁。
三の曲輪 虎口。奥の馬出(諏訪曲輪)に続く。
馬出(諏訪曲輪)。北条流築城術の角馬出で明確に遺構が残ります。
秩父曲輪と復元四阿。
2015.3.28
時間がなく、ざっくりしか周われませんでしたが、次回はゆっくり周りたい城です。