夏といえば・・・・・
さすが受験生を持つパパだけあり、夏期講習。
といっても、大学受験ではなく中学受験、また、現代ではなく約40年前(つまり娘ではなく私)、かつ東京ではなく某地方都市。
つまり、今日は、昔の私自身の中学受験時(小6)の夏期講習を題材に書きたい。
私は、以前書いたと思うが、小6の6月頃、急きょ中学受験をすることになり、慌てて受験塾に通い始めた。
(結果は不合格。しかも、落ちた中学は、小学校受験で合格したが辞退した系列校の中学、というなんとも言えない形で終わる)
小6の6月入塾だとかなりキツかったが、なんとか食らいついていた中、早くも夏休みになり、夏期講習が始まった。
その頃は、成績はいまいちながら、受験塾というものにも慣れ始め、何よりも、違う小学校の友だちが出来ることが楽しかった。
私と同じ小学校に通う友人Aと一緒に、3人組として仲良くなったのが、別の小学校に通う(仮名)須川君だった。
須川君は、勉強も出来るし、空手も習うなどスポーツもでき、外見もよく、私の小学校にはいないタイプだった。
そんな3人組、須川君と友人Aと私で塾から一緒の電車で帰ることが多かった(校区が違うので、須川君だけ降りる駅が違う)。
お互いの小学校での出来事、クラスメイトの話、またテレビやスポーツの話など、勉強以外の話しかしてなかった。
そんな中、須川君には、クラスで「お似合いのカップル」と噂されている女子がいて、なんと私たちと同じ塾に通っているとわかった。
その塾は、大規模でコース・クラスが異なっていたので、私や友人Aは、その女子に遭遇したことがなかったのだ。
夏期講習では、志望校の関係で、私と友人Aは、須川君とクラスが異なることになった。夏の間だけであるが。
そして、私と友人Aのクラスに、その(須川君が噂されている)女子もいることがわかった。
夏期講習初日の教室でのインパクトは大きかった。
今でも、昭和の名曲「まちぶせ」が流れると思い出すのだが、そのウワサの女子はその曲の歌手にとても似ていた。
須川君と同じく、私の小学校にはいないタイプだった。
(仮名)石川さんがいた夏、の始まりだった。
かといって、私も友人Aも、直接知り合いでもないので、石川さんと話したりすることはなかった。
当時の小学生男子などはそんなものだろう。
話しかける理由がなくはないが、話しかけなければいけない理由もなかった。
さりながら、もはや親友となりつつあった須川君からよく聞かされていた女子であり、ましてやその須川君が学校で噂されているという女子だ。
毎日、目線で追っていた。
私だけでなく、友人Aも、だった。
あの夏期講習はキツかった。
6月入塾以来、レギュラーの授業や小テストにはなんとかキャッチアップできつつあったが、テキストの質量も、先生のトーンも、講習中に行われるテストのレベルも、何もかもが一気にギアアップされたのが、この小6の夏期講習だったようで、ヘロヘロになったまま、日にちは過ぎていき、夏期講習の終わりが近づいていった。
石川さんと話すことはないままに。
夏期講習最終日、結局キャッチアップしきれなかったという悔しい思いと、やっと自分のペースに戻れるというホッとした思いが混ざっていた。
須川君と一緒のクラスでないことに慣れ始めてはいたが、(夏期講習だけクラスが異なったので)また9月からは一緒のクラスになることがとても楽しみだった。
同じ小学校の友人との9月の再会以上に楽しみだった。
ただ、ということは、石川さんと同じクラスでいることもこれで終わりということだった。
様々な思いを抱えながら、夏期講習最後の授業を終え、私と友人Aは帰路の電車に乗った。
運良く2人並んで座れた。
すると向かい側の席に石川さんが座ったことに気づいた。
今まで、何週間もあったのに、最終日にして、そんなことは初めてだった。
といっても、今さら3人で話すようなことにはならず、いつも通り、私は友人Aと、とりとめない話をしていた。
石川さんも私たち2人には特段関心もないようで、本か何かを見ている感じだった。
ただ、友人Aは確実に石川さんのことを気にしていた。
と私が気づいたということは、おそらく私も同じだったのだろう。
まちがいなく言えることは、石川さんに気づいたとき、私と友人Aが目配せしあい、二言三言それについて短い言葉を交わしたことに、石川さんは確実に気づいていたということだ。
車窓の景色はゆっくりと流れていった。
ちょうど夕暮れどきだった。
僕たちが降りる駅まで電車に乗る時間は15分程度。
石川さん(つまり、いつもは須川君)が降りるのはその数駅向こう。
この日は、父が駅までクルマで迎えに来てくれることになっていた。家が近い友人Aも一緒に乗ることになっていた。そのまま食事に行くためだったのか、最終日だから気を使ってくれたのか、よく憶えてはいない。
降りる駅に電車が近づいた。電車から、待ってくれている父のクルマが見える距離だった。父は、クルマから降り、私たちが乗っている電車の方を見ている感じだった。
「●●駅〜●●駅〜」という車掌さんの到着アナウンスは、まるで夏の終わりを告げる合図のようだと、どうでもよいことを考えながら、席を立ち上がり、友人Aに続いて降車ドアに向かい始めた、その瞬間だった。
あれ?前に進めない。
何が起こっているのかわからなかった。
振り返ると、知らぬ間に席から立ち上がっていた石川さんが、私の肩掛けカバンのショルダー部分をぎゅっと握って引っ張っている。
え?
私の前を進んでいた友人Aもたまたま振り返り、驚いている。
思わず、石川さんの顔を見た。
怒った顔ではない代わりに笑顔でもなく、なんと言うか、いたずらっ子が真剣にいたずらをしているときのような目をしていた。
おそらく、長かった夏の中で、初めて石川さんと目を合わせた瞬間だった。
不意に、前に身体が押し出された。
石川さんが、ショルダーから手を離したようだった。
友人Aが待っている、閉まりかけたドアに急いだ。
なんとか間に合い、閉まったドア越しに振り返ると、石川さんは何事もなかったように本を読んでいた。もう目線が合うこともなかった。
ほんの10秒程度の出来事だったはずだ。
おそらく石川さんにとっては、気まぐれな悪戯心からの、すぐに忘れるような行動だったのだろう。
しかし、あの日の少年にとっては、一瞬でその夏一番の忘れ得ぬ出来事となった。
電車を降りると、すぐに父のクルマがあったので、友人Aと、この出来事について話す時間はなかった。
なんとなく、父には聞かれたくなかった。
しかし、父は、クルマの前で会うなり、しばらく私の顔をじーっと見ていた、気がした。
父の位置から、車中、息子が知らない女子にカバンを引っ張られている光景が見えていたのかもしれない。
小6の夏休みが終わり、学校も、塾のレギュラー授業も再開し、また、友人A、須川君、私の3人組は復活した。
しかし、なぜか、あの最終日のショルダー事件は、須川君には話さなかった。
なぜだったのか、よくわからないけど、わかる気がしないこともなかった。
そして、秋、冬が過ぎ、中学受験は終わった。
須川君は志望していた私立に合格、友人Aと私は不合格で同じ公立中に通うことになった。
石川さんは、須川君とは違う私立に受かっていた。ということを、塾の掲示板で知った。9月以降、須川君との間で、石川さんの話をすることがなくなっていたので、聞くに聞けなかったのだ。須川君が受かり、僕たち2人が落ちたからというのもあったからかもしれないが。
その後、友人Aとは腐れ縁で、約40年経った今もつながっているが、須川君も石川さんも以来会うことはなく、連絡先もわからない。
いつか父に、あの日電車の中で見えた光景をどう思ったか聞こうと思っていたが、そんなことをすっかり忘れて過ごしているうちに、早々に父は亡くなってしまったので、聞けずじまいだ。
聞けるなら、あの日どんな光景が見えたのか、そして、自分の息子はどんな顔をしていて、どんな気持ちを持っていたと思っていたのか、聞いてみたかった。
だからからか、今では、あの日の出来事は、電車の中の私からの目線ではなく、電車の外にいた父からの目線で、夕暮れのオレンジ色の車中での光景、として私の記憶に残っている。