某氏が出張で忙しいらしく、街ぶらり関係等で絡むことが出来ないので、偶には「父」について書いてみようと思う。(某氏と特に関係はないのだが笑)
私の父は、なんというか、流行自体には敏感だったり、取り入れる傾向があったのだが、メジャーではなくマイナー派、ファーストではなくセカンド派だった。
なんのことかわからないと思うので、具体的に言うと、
◆ビデオデッキは、VHSではなくベータ
◆家庭用ゲームは、ファミコンではなくセガ
※プレステ出る前
◆勉強机は、コクヨ等の棚が付いてたり机上に地図があったりするものではなく、手作り風の素朴なもの(本当に脚と板面だけ、設計図とか書きそうな笑)
◆運動靴は、アシックスやナイキとかではなくノンブランド
細かくは思い出せないが、この手の傾向は他にもあった。
カバンにせよ、服にせよ。
なんか、意地でも、多数が選ぶものを選ばないように見えた(笑)
当然、クラスメイトたちとは違ってくる。
まあ、そのことで、友だちができなかったりしたことはないので、実害(?)はなかったのだが、常にもやもやした気持ちにはなっていた。小学生の間くらいかなあ。
なぜだったんだろう。
中学生以上になるとその傾向は知らぬ間になくなった。
いつか、母親に聞いてみようと思う。
ただ、本はとにかく買ってくれた。
あと、塾とかは割とメジャー派だったかな。まあ塾は今の時代ほど選択肢ないからね。
そんな小学生時代から●十年が経ち、自分が父親になったわけだが、私は、娘に与えるものについては父とは異なり、メジャー派だったと思う。
自分の少年時代の反動だったかどうかはわからない。
ただ、娘に、机なり、カバンなり、何かを買う時々には、自分の父親のこの傾向を思い出していた気がする。
血筋は、似たり、似なかったり。不思議なものだ。
買うモノの傾向は違えど、共通するのは、「かけがえのない愛情」、なんて書くとクサくなるのでやめておく。
娘の塾のセレクトには、私の趣味が出たかも。
中学受験のときのN(SやWではなく)も、
今の大学受験にむけた塾も。
自分が通っていた(自分で選んだわけではない)塾と、立ち位置や方針、雰囲気が似ているかも。
「世代を超えた継承」、なんて書くと大げさなのでやめておく。
そう考えると、自分の小学生時代と現代では、選択肢の数が違いすぎる。習い事、学ぶ場、遊び、娯楽などなど。
どっちがよいとか悪いということではなく、折角、利便性なり選択肢の数が高まったのだから、娘においても、はたまた私自身にとっても、それらを十分に活かしていきたい。また、選択肢が多いがゆえに、本物であったり、一番大事なことを見極める目も持ち合わせたい。
ちなみに、父親がもし現在も生きていたら、この数多の選択肢の中で、メジャー、マイナー、どんな物事を選択するのか、見てみたかった。