今日は娘はMデイの日でニコニコ


到着すると、元気に建物に入って行きましたニコニコ


ちょうど、到着すると、少し早い時間に送迎車が来ていたみたいで。

男の子が1人、建物に入れず。ベンチに座っていたり、入り口に向かったと思ったら、また建物の外に出てしまったりガーン

付き添ってる先生が、苦戦していました。


娘も何かそれを見て言うかなと思ったのだけど、素通りでそのまま入って行きました。


きっと、支援学校の子なんだろうな。


でも、そういう特性があるなら、私が母親なら絶対に私が送っていきます。

先生に負担をかけてしまうくらいなら、と思います。


子供が玄関に入るところまで、私がやって、あとはバトンタッチかなぁ。


こういう苦労を他人に任せきりにする親もいるんですね、、ネガティブ


何だか、色々考えてしまいました。


昨日、5歳の頃の娘の様子を書いて、コメントを頂いたのだけど。


本当に、大変でしたね。

向き合うと気が狂いそうでした。


あまりに無気力な子で。


療育園でよく服を全部脱いで裸になってしまうし、、ネガティブ

裸で壁に向かって自分の体を殴りながら横になって過ごしていましたねネガティブ

療育園に通っている意味はまだ無かったと思います。


7歳で初めて話したんだったなぁ。


この子は一生話さないんじゃないかと思っていたから、嬉しかったなぁ。


6歳の頃まで、無気力で。3ヶ月の頃発作が起きてから、全く何も声を出さなくなり。泣かなくなり無表情で。お腹が空いたと泣いて訴えていた愛着も寸断されてしまい、、。


どうしたら、また慕ってもらえるんだろうと、そればかり考えていました。


あまりに他人に関心がなく、殻に閉じこもっているので、自閉症とはまさに娘のことを言うんだろうなと思いましたネガティブ


絶望?

そんなの何度思ったことか。


小2になってから、私の膝枕で私の膝に頭を乗せて過ごすようになり。

今が大事な時だと。学校だけ通わせて。

デイをなるべく休ませて。学校から帰ったら、ずっと膝枕に付き合っていましたね。時間をはかってみたら、六時間とかかけていました。休みの日は9時間とか。


そこから、笑顔がよく出るようになったなぁと思いますニコニコ

発語も、その頃でしたね。それまでは雄叫びのようなかん高い奇声もあったのだけど、奇声がぴたりとなくなりました。


昨日も娘は私の膝枕で過ごしていたのだけど、だいぶ重くなりました笑い泣き

それでも、大事な瞬間だなぁと今では、慕ってくれるようになったことをありがたく思います。


子を思う想いは伝わるんだなぁと思います。

でも、待ってるだけでは伝わらなかったと思います。

こちらから、関わろうとしなければ、今でも娘は裸で自分の体を殴りながら、壁に向かって横になっていたのかもしれません、、。


精神安定剤の薬も大量に飲んでいただろう、、。


よく、ここまで這い上がってきたなぁと思いますおねがい